『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』は2023年5月3日に日本で公開されました。
 MCUでも特に人気のチームを描いた本作は期待を裏切らない作風とそれぞれのキャラクター、そしてもちろん厳選された音楽が作品を彩りました。
 ここからは、作品の概要、ネタバレなしのおすすめポイント、ネタバレ感想の順でお届けします!
【ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3】概要
Guardians of the Galaxy Vol. 3
【日本公開】
2023年5月3日
【監督】
ジェームズ・ガン
【キャスト】
クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デイヴ・バウティスタ、ヴィン・ディーゼル、ブラッドリー・クーパー、カレン・ギラン、ポム・クレメンティフ、ショーン・ガン、ウィル・ポールター、チャック・イウジ
ガモーラを失った悲しみが癒えないピーターとそれを見守る仲間たち。
そんな中、突如襲来した新たな脅威によって仲間が窮地に立たされる。
おすすめポイント
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのメンバーはバラバラだけど、それがチームとしてまとまっている絶妙なバランスを保っています。
 これこそがガーディアンズなんですよね。
 そして本作でも、そんなガーディアンズを存分に堪能することができました。
 前2作と変わらず、常にギャグ調でありながら時々見せる感情的な表現がメリハリをつけてより一層心に響きます。
 特に本作は序盤でガーディアンズのメンバーが窮地に立たされます。
 そのメンバーの過去も明かされます!
 どこを切り取っても見どころしかない本作は自信をもって最高のMCU作品と言えるでしょう。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズを監督したのはジェームズ・ガンです。
 彼は前2作の監督も務めており、キャストとの信頼も硬いです。
 ガンはSNSでの過去の発言を掘り起こされてMCUから一時期降板しました。
 しかし、その後すぐにDCの『ザ・スーサイド・スクワッド 極悪党、集結』と『ピースメイカー』を監督しました。
 さらにその後、ガンはMCUに復帰し、本作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』でも監督を務めることになりました。
 この短期間に2つの大きな映画ユニバースに参加するというのは驚きでした。
 今後はDCユニバースを作り上げていくため、MCUでは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』がラストになります。
 同時に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズも本作が区切りになっており、2014年から続いてきたこのシリーズの結末も見どころです。
ネタバレ感想
まず、まさかここまで楽しめるのかと驚きました。
 もちろん『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』には期待していましたし、前2作もMCU全体でも上位に入るくらい好きな作品です。
 しかし、過去作が好きなこともあり、本作にはそれを超えられるのかという不安がありました。
 さらに本作は予告からロケットが死ぬのではないか?と予想させるような作りになっており、ロケットの生死に対する不安も同時にありました。
 しかし、いざ鑑賞して観るとそんな不安はすぐに消え去り、またいつものように映像にかじりついていました。
 この要因としては、飽きさせない構成にあると思います。
 音楽に合わせたロケットから始まり、お酒のような何かに溺れるピーター、そして突っ込んでくるアダム・ウォーロックなど、画面内の緩急がとてもハッキリしていました。
 だからこそ、本作は2時間半という上映時間を感じさせないことができていたのだと思いました!
 ガーディアンズのメンバーも初期とは比べ物にならないくらい正確に変化が出ており、ネビュラも立派なガーディアンズの一員になっていました。
 このように絆ができたガーディアンズだからこそ、ロケットの危機には必死になれるし説得力が生まれます。
 スターロードのロケットを救おうと必死になるシーンは涙が出ました。
 本作は長いシリーズを歩んできたガーディアンズだからこそ出来た映画だったと思います。
まだ子供のアダム・ウォーロック

シリーズ2作目『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』のエンドクレジットで存在が示唆され、本作で本格的に登場したアダム・ウォーロックの純粋さがとても良かったです。
 アダムは2作目の時点では生まれていなかったので、年齢も若いはず。
 作中でのアダムの行動は例えるなら正しいことをしようとして空回りする子供のようでした。
 しかしアダムは子供でありながら、その成長速度故なのか自分で考えて行動するということは出来ていました。
 だからこそ、母親を救えなかったという後悔の念がドラックスから言われた「セカンドチャンス」という言葉が刺さり、最終的にピーターを助けるという、ある意味セカンドチャンスと言える行動をとることができました。
 これはアダムの純粋さ故なのかもしれませんが、セカンドチャンスというのはガーディアンズのメンバー全員に共通するテーマでもあります。
 この言葉に従った彼は、ある意味ではもうガーディアンズなのかもしれませんね。
 この「セカンドチャンス」という言葉はよく使われる言葉ですが、いつの時代も共通する言葉ですよね。
 そのセカンドチャンスを活かせるかどうか、それが一番重要ではあります。
見劣りするヴィラン

本作のヴィランであるハイ・エボリューショナリーは完璧な種族を求めて研究しているヴィランです。
 ロケットを改造した張本人でもあります。
 エボリューショナリーはヴィランなのですが、本作はガーディアンズにフォーカスされすぎており、少し影が薄くなってしまった印象です。
 確かにその頭脳は動物を強制的に進化させるほどではありますが、その頭脳が戦闘に活かされることはありませんでした。
 最後もガーディアンズにボコボコにされて終わります。
 これまでガーディアンズに立ちはだかったヴィランは生きた惑星のセレスティアルズやインフィニティ・ストーンを求めるクリー人にタイタン人などフィジカル面で脅威になるキャラクターでした。
 それに比べて今回は頭脳面の強さです。
 それだけ聞くと得体のしれない強さを兼ね備えているように感じますし、最先端の武器などを使って翻弄してきそうですが、実際に作品に登場したのは改造された豚や特許の数々でした。
 改造された動物もそこまでの脅威ではありませんでしたし、特許は彼の頭脳の凄さを表す指標にはなりますが戦いの役には立ちません。
 終盤に立ちはだかった改造クリーチャーの数々もガーディアンズの見せ場に使われるほどです。
 余談ですが、あのシーンはそれぞれの個性が見れて良かったです。
 ハイエボリューショナリー自身は重力を操る能力を持っていましたが、ロケットの作成した重力ブーツの前には無力でした。
 このように、ヴィランとしての脅威はこれまでに比べてとても劣っています。
 ロケットの重力ブーツの前では無力という構図は、ロケットがハイエボリューショナリーの能力を上回っているというメタファーにも感じました。
 彼は生粋に研究者であり、それ故に神を否定する人間でもあります。
 そもそもハイ・エボリューショナリーのコミュニティに『神様』という定義が存在していたことに驚きですが、彼は否定して船員もろとも船を破壊しかけます。
 この場面から、自分の実験体に先を越される怒りと、過去にロケットにされたことへの怒りと恐怖が垣間見えたように感じます。
 ロケットやライラを改造した張本人で本作の明確なヴィランですが、作中で影が薄かったことが気になりました。
 しかし、彼の進化のための研究は目を見て批判できるものではないと思いました。
ハイ・エボリューショナリーと進化と代弁者

ハイ・エボリューショナリーの目的は完璧な種族を生み出すことです。
 ロケットが改造されたのはその目的のための過程でした。
 この実験というのは、その種を真っ向から否定する行為で、ロケット自身も「ありのままを否定している」と言っていました。
 それには同意です。彼の実験は強制的な進化であり、その進化の過程を全て飛ばしているため、それがその種にとって最良の進化とは言えないからです。
 この進化はハイ・エボリューショナリーの考える「完璧」のための進化です。
 一方で、この進化のための犠牲という行為は一概に批判できるものではないとも思いました。
 今回ハイ・エボリューショナリーがヴィランとなった背景にはロケットの非人道的な実験をロケット目線から描いたからです。
 ロケットからしてみたら彼は明確なヴィランですし、ロケット側にいる我々からしてみてもヴィランです。
 しかし、彼の行う研究は人間が行っていることと本質的には変わらないのかなと思いました。
 私たち人間も医療の進化や技術の進化のために日々研究をしています。
 その過程で人間には行えないような実験が動物で行われているのも現実です。
 さらに最近ではAIの進化が話題になりますが、AIの進化も行きつく先は人間のより良い暮らしのためです。
 もちろん全てではありませんが、非人間で行われている研究の多くが「人間のため」に行われています。
 では何故、人間はヴィランにならないのか?
 それは代弁者がいないからでしょう。そしてここがハイ・エボリューショナリーと人間の分かれ目でもあります。
 MCUには言葉を喋って考える動物がいます。本作でもロケットの他に宇宙服を着た犬の「コスモ」が登場していますね。
 そして代弁者というのは今回の場合ロケットです。
 ロケットは彼の実験の当事者で、それを伝えることができます。
 これにより、ハイ・エボリューショナリーをガーディアンズが倒す理由になりました。
 一方で人間の研究は実験の当事者に代弁者がいません。
 私たちはネズミの声を聴くことは出来ませんし、現状ではAIが自分の意見を発することはありません。
 これこそが人間がヴィランにならない理由だと思います。
 私たち人間からしてみたら、普段そこを気にすることありませんが、ロケットのような代弁者が生まれた場合、この常識が崩れるかもしれません。
 こういった意味では、ハイ・エボリューショナリーの敗因はロケットを生み出してしまったことにあると言えます。
 エボリューショナリー自身が恐れたように、ロケットには「ひらめき」があります。
 この「ひらめき」というのは「現状に対する問題提起」でもあります。
 だから進化の研究を妨げる要因を判断することができましたし、ハイ・エボリューショナリーが自分やライラたちを殺害することも理解できました。
 これは、檻にいたライラがロケットに言われるまで「いつか自由にしてくれる」と思い続けていたことからも分かります。
 この代弁者というのは現状に対する問題提起をするのにピッタリの存在で、ある時はこれまでの普通を壊す存在でもあります。
 実際、エボリューショナリーの実験というのは認められており、数々の特許を取得していましたし、彼を支持する人も多くいました。
 つまり、ロケットがいなければ今後の実験というのは続いていた可能性があるということです。
 この実験はアダム・ウォーロックを産んだソブリン人のような種族を生み出すことさえできるため、MCU全体で見るとむしろ良い結果を産んでいるのかもしれませんが、ロケット側から描かれるこの物語では、ハイ・エボリューショナリーは明確なヴィランなのでした。
 ロケットの夢の中でライラが「これは実はあなたの物語なのよ」というセリフが登場します。
 このセリフの解釈は観客ごとに多くあると思いますが、ひらめきがあるロケットはハイ・エボリューショナリーの実験が悪い点だけに作用していないことは理解しているはずです。
 だからこそ、ハイ・エボリューショナリーがヴィランとして描かれる本作は「ロケット視点の物語」だと言えるでしょう。
 そしてこの「代弁者」が人間の前に現れた時、今までの常識は覆されることもあるのかなと思うことあります。
ロケットの過去

本作ではロケットの過去が明かされました。
 ハイ・エボリューショナリーの実験によって生まれたロケットですが、彼には3人の仲間がいました。
 カワウソのライラとセイウチのティーフス、そしてウサギのフロアです。
 しかし彼らはロケットの脱走計画の際にハイ・エボリューショナリーに撃たれてしまいました。
 撃たれる以前のロケットは外の世界を夢見る純粋な少年の様でしたが、ライラたちが撃たれた時に見せた怒りに満ちた行動は、そのギャップと彼の怒りがこちらまで伝わってきて息をのみました。
 この時の経験が今のロケットの性格を形作っているのかもしれませんね。
 改造されたキャラクターのコミュニティというのは『トイストーリー』を思い出させます。
 しかし本作と『トイストーリー』の違いはコミュニティの復讐の有無です。
 『トイストーリー』ではシドに改造されたおもちゃたちが、シドに復讐するというラストを迎え、実際に成功しました。
 一方で本作はライラ、ティーフス、フロアがハイ・エボリューショナリーによって撃ち殺されてしまった為、ロケットのトラウマとなり、その復讐をロケット1人に背負わせることになっていました。
 彼のトラウマは、ガーディアンズがハイ・エボリューショナリーを倒そうと動いた時でさえ、ロケット自身を躊躇させるほどです。
 実際、ロケット1人では復讐を果たせなかったでしょう。
 しかし今のロケットにはガーディアンズのメンバーという心を許せる仲間がいます。
 この違いが今回の復讐を成功させた要因でもあるでしょう。
 以前は逃げなければいけなかったロケットが今は立ち向かえる、そんなメンバーの心強さというのは長い間この作品を鑑賞してきた私たちなら分かります。
 ロケットは夢でライラと再会した際、ライラがロケットを「アライグマ」と言ったのに対して「俺はアライグマじゃない」と返していました。
 これはガーディアンズとのやり合いに居心地を感じたからだと思います。
 最後には自分の出生地を知って、ラクーン(アライグマ)という名前を付けて自身を「ロケット・ラクーン」と呼んでいました。
 私はてっきり昔から「ロケット・ラクーン」だと思っていたのですが、アライグマを認めないロケットが名前に付けるのはおかしいですね(笑)
 しかし今回は自分の出生を受け入れて、ついに「ロケット・ラクーン」になりました。
 作中でロケットはハイ・エボリューショナリーに対して「お前はありのままを否定している」と言っていたことからも、彼が自分のありのままを受け入れたと解釈できます。
 それにしても動物を使うのはずるいですよ。
 あの愛らしい姿と純粋な心の持ち主達が檻で未来を思い描く姿は、胸が苦しくなりました。
神のいない世界に神はいるか?

本作でハイ・エボリューショナリーは「神なんかいない」と発言していました。
 これは彼が研究者であることから非科学的な存在を信じないということでしょう。
 そして彼は長年MCUの宇宙で過ごしているため、髪を否定する数多くの事象を見てきたのかもしれません。
 実際『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』でピーターが今はソーを物理の授業で習うと言っていたことからMCUでは「神」の概念が覆ることもあり得ます。
 つまり今のMCUでは個人で「神」の存在が変わってくるということです。
 ソーやオーディン、ゼウスを神だという人もいれば彼らは宇宙人だという人もいるということです。
 では本作での神とは何でしょうか?
 これは映像でいくつか示唆されていました。
 特にラストの場面です。
 宇宙空間に取り残されたピーターをアダム・ウォーロックが助ける場面はミケランジェロの『アダムの創造』の構図と似ています。
 題名も似ていることから、狙っていることが分かります。
 この絵は「神」が最初の人類「アダム」に命を吹き込む場面です。
 実際、アダムがピーターを助けるという行為は命を吹き込むと解釈できます。
 1つ明確に違うのが2人の立ち位置です。
 絵画では指を伸ばす方が「神」で受け取る側が「アダム」です。
 しかし本作では神の立ち位置にアダムがいます。
 つまり人類としてのピーターと、神としてのアダムというすこしややこしい立ち位置になっていますね。
 他にも、ハイ・エボリューショナリーの船からノーウェアに避難させる場面はノアの箱舟を連想させます。
 子供達だけでなく動物も乗ってきたのがとくにイメージを加速させました。
 このように神話を連想させる構図が度々登場していました。
 このことからMCUではイメージではなく「行動が神を作る」と言えます。
 そしてこの理論に当てはめると、ハイ・エボリューショナリーも神と言えます。
 新たな種の創造と破壊は、従来の神の特徴です。
 しかしそれは善い行いとは言えないです。
 進化のための犠牲はつきものですが、それを解釈する人が良い印象を持たないのも確かです。
 そのため、MCUでは「神」は絶対的なものではないとも言えます。
 「行動が神を作る」と考えるならば、その行動の善悪が問われないということでもあります。
 種を想像するのが神であれば、それが非道徳的な方法で行われても神ですし、称賛されて語り継がれる行いをするのも神です。
 その様な状況では「神=正しい」という価値観も同時に消滅するということです。
 そしてさらに厄介なのが、称賛される神は一方だけではないのです。
 犠牲を伴った種の創造主を「神」だとする人もいれば「マッドサイエンティスト」だとする人もいます。
 つまりこれまで以上に神に対する定義があいまいになるということです。
 このような状況で絶対神というものが存在するのか?それはMCUをまとめる役割を担うのか?今後のMCUにおける神に注目したいです。
新たなキャラクター達

本作には上述以外にも多くの新しいキャラクターが登場しました。
 ホリデースペシャルにも登場したコスモや、”あの”オルゴコープのセキュリティです!
 まずコスモの魅力的な性格にはとても癒されました。
 ソ連に打ち上げられた犬のコスモは、何とか生還して宇宙で生活していました。
 実は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』にも登場していたコスモは念力を使うことができていました。
 「Bad Dog」と終始クラグリンに言われて怒っていたコスモは、言葉を喋るという人間に近い能力を持ちながらベースの性格は犬で癒されました(笑)
 コスモは今後もガーディアンズとして活動するのかもしれないので、またどこかで見られる日が楽しみです。
 私自身の欲を言うと、最後にコスモが壁を念力で動かすシーンでクラグリンが「Good Dog」と言っていましたが、あそこは「Bad Dog」のままも見て見たいと思いました(笑)
 “あの”オルゴコープのセキュリティ主任のマスター・カージャはネイサン・フィリオンによって演じられました。
 ネイサンは私の大好きなドラマ『キャッスル / ミステリー作家のNY事件簿』で主演を務めており、最近では『ザ・ルーキー 40歳の新米ポリス!?』でも主演を務めています。
 同じジェームズ・ガン監督の作品では『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』で体のパーツが分離する「T.D.K」を演じていました。
 実は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズは本作が初めてではなく、1作目では水色の宇宙人を演じていました。
 2作目では「ワンダーマン」として知られるサイモン・ウィリアムズを演じましたが、最終的にカットされてしまいました。
 その後、ワンダーマンは『マトリックス:レザレクションズ』のヤーヤ・アブドゥル=マーティン2世が演じることになりました。
 これまで本格的な登場が叶わなかっただけに、本作で比較的長い間登場してくれたのは念願叶いました!
 完全に自己満になってしまいましたが、本当に嬉しかったです。
I am Groot

ロケットが助かり、それぞれが進む道を決めた場面でグルートが「I love you guys」と言っていました。
 これには2種類の考え方があります。
 1つが「We are groot」のように新しい言葉を言えるようになったということ。
 そして2つ目が、私たちがグルートの言葉を理解できるようになったということです。
 グルートが言葉を発した場面で他のメンバーが驚いていないことから、私たちがグルートの言葉を理解できるようになったというのが正しそうです!
 これまで観客としてガーディアンズと旅を共にしてきた中で、ついにグルートの言葉を理解できるようになったというのは一員になった気がしてとても嬉しかったです!
それぞれの道を行くガーディアンズ

本作は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』というシリーズを締めくくる良い作品だったと思います。
 彼らの旅は1つの区切りを迎えて、地球に帰る者もいれば、新たなガーディアンズとして活動する者もいて、新たなチームで活動する者もいます。
 今までの彼らを見ることができないと思うと少し悲しいですが、活動の場所が変わっただけでいつでも会える状況にいます。
 最後には「伝説のスターロードは帰ってくる」という文字だったので、ガーディアンズとして帰ってくることはないでしょう。
 ロケットの物語からクラグリンが矢を使えるようになるまで、それぞれの物語を綺麗に締めくくってくれてよかったです。
 一旦は終わってしまうこのシリーズですが、またいつかメンバーが揃った光景が見られることを心から楽しみにしています!
まとめ
今回は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』のネタバレ感想をお届けしました!
 MCUを代表する作品として長い間楽しませてくれたこの作品に出会えてよかったです。
 これで一旦シリーズは終わりますが、またいつかみんなが揃った姿が見れる日が来てほしいです!
 最後までご覧いただきありがとうございました!

 
 