ケネス・ブラナー版ポアロシリーズの3作目です。 原作はアガサ・クリスティーの『ハロウィーン・パーティ』ですが、かなりの改変が入っています。
ここから先は真相まで書きます。 過去2作『オリエント急行殺人事件』『ナイル殺人事件』にも触れます。
犯人と事件の真相
今回の事件を動かしていたのは、幻覚作用のあるハチミツでした。
過保護な母親が、娘を支配するために精神錯乱を起こすハチミツを紅茶に混ぜていました。 それを知らない家政婦が大量に入れて飲ませてしまい、娘は亡くなります。 気づいた母親は、それを飛び降りに見せかけました。 これが最初の事件の発端です。
その後、母親は真相を知る人物から脅迫文を受け取り、指示どおりに金を渡していました。 作中で起きる2つの殺人は、母親が「送り主はこの人物ではないか」と考えた相手を消していったものです。
ポアロ自身にも幽霊が見え始め、精神的に参っていきます。 これも同じハチミツによるものでした。
仕掛けが脆い
現代の作品で、SFでもないのに幽霊が現れるとしたら、それは精神への影響によるものだろう。 観ている側はまずそう考えます。
だから序盤で種が割れてしまい、意表を突かれることがありませんでした。 原作が書かれた時代にどう受け取られたのかは分かりませんし、そもそもハチミツ自体が原作に無い可能性もあります。 それでも、いま観ると弱い。
過去2作は、こうした小道具に頼らずに犯行が練られていました。 今回はハチミツありきです。 そこが引っかかりました。
ホラーとミステリーがかみ合っていない
まず、怖いです。 予告編の時点で過去作よりホラー寄りだと分かってはいましたが、予想を上回りました。 過去作が好きで来た人がホラーを苦手にしていたら、途中で出たくなるくらいの強さはあったと思います。
ホラーが入ること自体は歓迎でした。 殺人が幽霊の仕業かもしれない、というところから話が動くので、ホラーは不可欠です。 いわくつきの屋敷、交霊術、続く不可解な死。 題材としては申し分ありません。
それでも、使い方が合っていませんでした。 ホラー単体なら面白かったかもしれませんが、ポアロのミステリーと組み合わさったときに、むしろノイズになっていました。
特に多かったのがジャンプスケアです。 急な音や映像で驚かせるあれです。 ホラーテイストなのだから当然と言えば当然なのですが、正直じゃまでした。 この映画の中心は謎解きで、観客はポアロと一緒に事件を追っています。 そこへ驚かしが挟まると、肝心の推理に集中できません。
種明かしのあとに降霊会が続く
序盤、ミシェル・ヨー演じるレイノルズ夫人が降霊会を行います。 ところがその途中で、ポアロが種を見破ってしまう。 勝手に動くタイプライターは、隠れた助手が遠隔で操作していたものでした。
そこで終わるかと思いきや、レイノルズ夫人は強行します。 ぐるぐる回り、渾身の声真似を披露する。 しかし直前のポアロの指摘で、降霊会の信憑性はほとんど残っていません。 それなのに参加者は信じているように見える。
観客からすれば、ポアロの種明かしは降霊会が偽物である決定的な証拠です。 その後も茶番が続き、それを信じるそぶりを見せる参加者に、どうしても乗れませんでした。
ひとつ擁護すると、あの時点でほとんどの参加者は茶番に付き合わざるを得ませんでした。 娘の霊と話したいロウェーナはレイノルズ夫人の殺害を計画しているので、この場を台無しにできない。 オリヴァ夫人とポアロのボディガードは、降霊会でのポアロを本の題材にしようと手を組んでいる。 フェリエ医師は過去のトラウマで精神状態が悪い。
嘘だと分かっていても参加せざるを得ない人たちが集まっていた。 そう考えると、あの場面の居心地の悪さ自体が仕掛けだったのかもしれません。
ブークがいないことの重さ
ブークのことを覚えているでしょうか。 ポアロの友人で、過去作では事件の前に必ず出会い、なんなら彼の周りで事件が起きるという人物です。
私は過去作のブークが好きでした。 『ナイル殺人事件』で亡くなったときは、しばらく引きずったくらいです。 だから交霊術や幽霊が出てくる本作で、密かに再登場を期待していました。 結果的に出てきませんでした。
そしてブーク不在の影響は、思っていたより大きかった。
ブークはポアロを事件へ導く役割だけでなく、作品にユーモアを与え、緊張した空気をゆるめる人物でもありました。 そのおかげで全体のバランスが取れていた。 本作は終始、雰囲気が重いままです。
別の作品なら重い空気も好きなのですが、このシリーズではブークがいることが当たり前になっていたので、喪失感がありました。 しかも本作のポアロは探偵業を引退していて、最初は事件に乗り気ではありません。 さらにハチミツの作用で参っている。 元気なポアロですらない。 そのぶん、過去作のような劇的な高揚が生まれませんでした。
4作目はあるのか
2026年8月の時点で、4作目は発表されていません。
動きがあったのは2024年10月です。 製作総指揮のジェームズ・プリチャードが、ケネス・ブラナーが監督として、マイケル・グリーンが脚本として続く可能性に触れました。 ただし、これは含みを持たせただけで、企画が決まったという発表ではありません。
同じ月に、20世紀スタジオのスティーヴ・アズベルが、アガサ・クリスティー作品の映画化を続ける意向を示しています。 名前が挙がったのは『そして誰もいなくなった』『検察側の証人』、そしてミス・マープルものです。 どれもポアロではありません。
つまりスタジオはクリスティーを手放していないが、ポアロを続けるとは言っていない。 そういう状態が2年近く続いています。
興行収入を並べると、その理由は見当がつきます。
『オリエント急行殺人事件』が世界で3億5,279万ドル。 『ナイル殺人事件』が1億3,731万ドル。 そして『ベネチアの亡霊』が1億2,229万ドルです。 3作の合計は6億1,239万ドルに達していますが、1作目から3作目にかけて3分の1近くまで落ちています。
客席にひとりだった
期待どおりの作品ではありませんでした。 ホラーは強かったが謎解きの邪魔をし、仕掛けは序盤で割れ、ブークがいない重さが最後まで残った。
そのうえで気になっているのは、日本での人気のほうです。
公開から5日後のレイトショーで観たのですが、200席ほどのスクリーンに私ひとりでした。 貸し切りです。 予想以上のホラーで心臓が動いたのと同じくらい、このシリーズが日本でどうなっていくのかというほうで落ち着きませんでした。
それでも、ブークのいたころのポアロをもう一度観たいと思っています。 重い話をやるにしても、隣で軽口を叩く友人がいるかどうかで、あの映画はまったく別のものになるはずです。
興行収入が1作ごとに落ち、4作目が発表されないまま時間が過ぎている。 あの日の空席は、日本だけの話ではなかったのかもしれません。