アニメ映画【ピーター・パン】ネタバレ感想_1953年に公開したディズニーのネバーランドを舞台にした超有名作品の評価

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ピーター・パンのアイキャッチ レビュー

1953年公開のディズニーによるアニメーション映画【ピーター・パン】はコミカルなアニメーションと綺麗な絵、頭に残る音楽が組み合わさって老若男女楽しく観られる作品です!
日本では本国公開から2年後に公開されましたが今やディズニー作品全体を通しても特に知名度の高い作品と言えるでしょう。
しかし楽し気な雰囲気の中には今では考えられない差別的な描写が含まれており、時代を感じさせられます。
ということで今回は映画【ピーター・パン】のネタバレ感想をお届けします!

【ピーター・パン】概要

【原題】
Peter Pan
【日本公開】
1955年3月22日
【監督】
ウィルフレッド・ジャクソン
【キャスト】
ボビー・ドリスコール、キャサリン・ボーモント、ポール・コリンズ、トミー・ラスク、ロバート・エリス、スタフィー・シンガー、ジョニー・マクガファン、ジェフリー・シルヴァー、トニー・バタラ、ジューン・フォーレイ
ロンドン郊外に住む少女ウェンディの元に、ある夜、おとぎ話のピーター・パンが妖精ティンカー・ベルと共に現れた。ウェンディ、弟マイケルとジョンは、空を飛べる魔法の粉を振りかけられて、いつまでも子供のままでいられるネバーランドへと旅立つ。

おすすめポイント

本作はピーターパンの物語にあこがれる3姉弟がネバーランドの住人『ピーターパン』と冒険を繰り広げる物語です。
まず何と言っても音楽が良いです!
頭に残るリズムは鑑賞後も頭から離れないでしょう。
これはさすがディズニーというレベルです。これまでのディズニー作品同様のワクワク感満載の音楽は気分を上げてくれます。
また、アニメーションがとても素晴らしいです。実写にはない誇張表現が上手く作用し、実写とは違った映像を楽しめます!
一方、本作は一部差別的な表現を含んでいるため鑑賞の際は注意が必要です。
1時間20分という短い尺でありながら、その綺麗な終わり方は心にくるものがあるかもしれません!

ここから先は【ピーター・パン】のネタバレを含みます。
 

ネタバレ感想

私が始めて本作を観たのは、小学校に入る前だったと思います。当時、小学生になる前の私であったにもかかわらず、意外にも映画は記憶に残っており、再度観た際には、幼少期に見たシーンを思い出すほど印象深かったです。その理由は、シンプルなストーリーと美しいアニメーションで表現されていたからだと思われます。

古き良きアニメーション

飛ぶピーター・パン

まず全体を通して、本作で印象に残ったのはアニメーションです。滑らかな動きに加え、キャラクターの動きがコミカルでありながらも印象的でした。例えば、ピーターパンが空を飛ぶ場面では、地面から離れる際に両足を大きく曲げて浮かび上がります。それはまるでバレエダンサーのようで、ピーターパンが地上と空中を自在に動き回るように表現されていました。
昔のアニメーションでは、キャラクターの動きがゴム人形のようで、まるで骨がないかのような表現が多かったですが、本作でも同様の表現が見られました。ただ、本作ではその表現を巧みに使い、魅力的に表現されていたため、違和感はなく、むしろ良い印象として残りました。これが、今でも記憶に残り続ける映像の理由かもしれません。

記憶と違うストーリー

ピーター・パンに登場するビッグベン

さて、まずは映像について語りましたが次にストーリーについて語りたいと思います。
初めに言っておくと、本作は全年齢向けアニメーション映画ですし、約1時間20分と尺も短いです。
そのためストーリーはそこまで複雑ではなく、場合によってはご都合主義なところもありました。
なので完全肯定の記事にはならないことをご承知ください。
まず驚いたのは内容の危なさです。
幼き頃の私はピーターパンがウェンディたちと一緒にフック船長をやっつけるんだ!なんて思っていたでしょう。
しかし大人になった私が観たのは嫉妬深いティンカーベルと自分勝手で人の心が分からないピーターパン、ネバーランドに裏切られるウェンディと差別的な歌でした。
これがネバーランドの真実でしょうか?
子供の頃は気楽で何も考えずに観れた作品が大人になるとここまで印象が変わるのかと。
ウォルトディズニーの皮肉たっぷりのタイムカプセルなのかもしれません。

嫉妬深いティンカー・ベル

ティンカー・ベル

まずティンカーベルです。
いまやディズニー作品ではお決まりのシンデレラ城に光のアーチを描いてくれるティンカーベルですが、本作ではとても嫉妬深い妖精で、その嫉妬心からウェンディの殺害計画をフック船長と企てます。
その理由はピーターパンにウェンディを取られたと思ったからでした。
フック船長がピーターパンに爆弾を贈ったことを知ったティンカーベルは間一髪でピーターパンにそのことを知らせて助け出します。
その際、ティンカーベルの安否を心配したピーターパンの「世界一大切なのはお前なんだから」という言葉からピーターパンが一番大切にしている存在だというのが分かります。
つまりティンカーベルはただの嫉妬だったというわけです。
それでもティンクの軽率な行動でウェンディやロストボーイズたちを危険にさらすことになるというのは無視できませんでした。
ウェンディたちが助かったのもフック船長が爆弾を贈ったことを知り、騙されていたと気づいたからでした。
その後に改心する描写は無く、船を浮かべて終わりという何とも言えない最後が引っ掛かります。
せめてウェンディと仲直りをする描写があればもっときれいだったのではないでしょうか?

かわいそうなウェンディ

ウェンディ

そんなティンカーベルに嫉妬されるウェンディはむしろ本作を通して一番かわいそうでした。
ウェンディは3姉弟の中でも一番年上です。
そしてネバーランドに夢をみる純粋な少女です。
そんなウェンディですがネバーランドに来てからの扱いがあまりにも酷かったです。
前述の通り、ティンカーベルには殺されかけるし人魚たちには嫉妬からイジメられるし、インディアンの村では女だからという理由で踊りに参加させてもらえませんでした。
夢見ていた場所が想像と違った時にとる行動は人それぞれ違いますが、ウェンディは良い面を見ようとしたようです。
しかしそれはあくまでネバーランドに対する期待からくるもので、自身の考えは変わってきました。
そもそもウェンディは物語序盤から大人になることを強要されてきました。
ピーターパンに出会ったのもウェンディが子供のままでいる最後の日です。
ウェンディはネバーランドで母親を知らないロストボーイズや子供のままでいるピーターパンたちの純粋で軽率な行動の数々を目の当たりにします。
その中では彼らの行動に正そうとするウェンディはその集団の中ではある意味一番大人と言えます。
そもそも家では大人になることを強要され、ネバーランドではロストボーイズたちの母親をやらされるという、どちらも大人になることを強要されていました。
しかしネバーランドでの経験を経てウェンディは自ら大人になることを決意します。
これはつまり、人は経験を経て大人になるということを表現しているのかもしれません。

 

子供のままのピーターパン

ピーター・パン

そして題名にもなっているピーターパンです。
彼は大人になることを拒み、ネバーランドに住む自由奔放な少年です。
そんな子供特有の自由奔放さが時として自分勝手に見えてしまいました。
例えばピーターパンはウェンディを殺しかけたティンカーベルに対して一方的に突き放します。
ロストボーイズとティンカーベルのピーターパンに対する態度から、彼がリーダー的な立ち位置であることは明白です。
そんな彼が相手の意見を聞かずに一方的に立場を危うくするのは典型的なダメリーダーでした。
さらにフック船長の話から左手が無くなったのはピーターパンがワニに食べさせたからだというのが判明しました。
確かに敵対する者同士、相手に損害を与えるのはよくあることですがそのことについてピーターパンは気に留める様子もなく、まるで悪ふざけだったという素振りでした。
これらからピーターパンはいつまでも子供から成長できない男性を描いているように感じました。

ネバーランドの海賊フック船長

フック船長

ピーターパンの宿敵として登場したフック船長はネバーランドにいる海賊を束ねていました。
大人なのにネバーランドにいるというのは不思議です。
原作の設定ではネバーランドは移り住むとその瞬間から歳をとらなくなり、元の世界に戻ると歳をとるという設定があります。
この設定をそのまま本作に流用することもできますが、なぜか本作では尺の都合か、それとも別の理由なのか、ネバーランドの設定が明かされずに終わりました。
そもそもディズニー映画は原作の改変が多くされており、原作に忠実と言えないです。
それを踏まえて私の考察は子供の世界を支配しようとする大人という立場です。
フック船長はその名の通り海賊の船長です。海賊といえば各地を支配して好き放題しているというイメージがあります。
つまり自由で何にも縛られないネバーランドという子供たちの世界を現実的な大人が支配するという構図を海賊として描いているのではないでしょうか?
というのもフック船長の海賊は作中で唯一『死』を扱っています。
例えば歌ってた船員をフック船長が撃ち殺した時や、ウェンディが飛び降りた時に水しぶきが上がらないのを起こったフック船長が船員を海に突き落としたりです。
明確に描写はされていませんでしたがその後のスミーのセリフや撃たれる場面、助かる場面をあえて描いていないところからも想像できます。
そんな『死』も、歳をとって死なないネバーランドという世界では、現実的な要素として目立ちます。
これらのことからフック船長は大人として描かれていたと考えます。

魅力的な音楽

歌う船員

ここまで結構キャラクターに対して否定的な意見を書いてきましたが、一方で音楽はとても素晴らしいと思いました。
どれも耳に残りやすくてノリやすいです。
現代では聴けなくなったあのレコードから流れてくるような独特な音質やリズミカルな音楽は鑑賞が終わった後も頭に残り続けます。
本作に登場した音楽のいくつかはディズニーランドでも流れていたのですがそれも納得の名曲だと思います。
ディズニーの曲はどれもキャッチーで記憶に残りやすいですが何か秘密があるのでしょうか?

ラストの意味

ピーター・パンのラストシーン

物語のラストはシンプルだけど伝わりやすいイメージになっていたと思います。
海賊船の形をした船を見てこれまで現実主義だった両親が子供の頃の感情を思い出していました。
伝えたいことはとても簡潔ですが、それを見せる描写がどこか家族愛を感じさせるものになっており、心が温かくなりました。
最後にピーターパンとの別れを描かなかったのも面白いです。
よく映画では別れの場面を描くことが多いですが本作ではあえて描きませんでした。
これは、子供の頃の記憶がどんどん薄れていくというある意味『夢』みたいな現象を描きたかったのだと思います。
実際、両親は海賊船の雲を見て「子供の頃に見た気がする」と言っていました。
つまり鮮明には思い出せないけど、どこか心の中に素敵な経験として刻み込まれているんです。
『子供の頃の儚く幸せな記憶』は大人になっても残り続けるということを伝える目的としてとても素敵でした。

 

ネイティブアメリカンの描写

インディアン

本作で登場するインディアンの描写は差別的で有名です。
実際にディズニーもそれを認識しており、私がディズニープラスで本作を鑑賞した時は始まる前に警告文が表示されました。
警告文を簡単にまとめると以下の通りです。
「この作品は人々や文化に対する不適切な表現を描写したシーンが含まれています。このような固定概念はいつの時代も誤りです。ディズニーは当該箇所を削除せずに、偏見が社会へ与える悪影響を認識し、そこから学び、議論を促すことで多様性あふれる社会の実現につなげたいと考えています。」
これによるとディズニーはあえて残すことで多様性のある社会を目指しているようです。
実際、このように記事として取り上げることでそれが間違ったものであると再度示すことができるので、より多くの人に広めることができるでしょう。

ということで本作のインディアンについて少し書きたいと思います。
と言っても私は日本人で日本に住んでおり、歴史にも強くないので詳しいことは書けません。むしろセンシティブな問題を半端な知識で扱うことでより誤解を生むこともあると思います。
そんな私でも驚いたのが、まず「レッドスキン」という呼称です。
フック船長がタイガー・リリーについて話す場面でインディアンのことをレッドスキンと呼んでいました。これは彼らの肌の色を使った表現です。今であれば企画段階で止められるでしょう。
これがそのまま映画として公開されたというのは驚きですね。
その他にもインディアンの歌詞に差別的な表現が含まれていることも指摘されています。
私はディズニーがこれを残したことは賢明な判断だと思います。
作品から除外しないことで常にこの差別的な表現について学ぶことができると思うからです。
実際、この記事を読んでいる方の中にはインディアンの表現について知らなかった方もいるかもしれません。
日本に住んでいると人種問題について身近に感じることはあまりありません。
そういう面でもこのように学ぶ機会はあるべきだと思います。
しかし一方でこの『多様性』が昨今のディズニー作品に適用された結果、また別の議論が巻き起こっていることも事実です。
いつか最適解が見つかることはあるのでしょうか。

 

まとめ

公開から数十年経った今でも誰もが知る名作はコミカルなアニメーションとリズミカルな音楽、シンプルで楽しいストーリーで満たされていました。
その分、映画のラストは心に残る温かいものでした。
一方で時間が経った今だからこそ見直される人種差別的な描写があるのも忘れてはいけません。
このような過去を持つディズニーが今後どのような作品を制作していくのか、そこも気になる所です。

ということで今回は1953年公開の映画【ピーター・パン】についてお届けしました!
最後までご覧いただきありがとうございました。