【シー・ハルク:ザ・アトーニー】ネタバレ感想・考察_評価が分かれた賛否両論の最終話をどう考える?_他の映画のキャラクターとのコラボも満載

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シーハルクのロゴ レビュー

こんにちは、シネマトレンドです!
はい、そうです。レビューですよ(笑)
8ヵ月ほど、ピクミンブルームの攻略記事しか投稿していなかったせいで、ゲーム攻略ブログに変わったのかと思われているかもしれません。

実はプライベートが忙しく、レビュー記事に時間を割くことが難しかったことが原因です。
私の場合は普段レビューに1~3日程かかるので、まとまった時間が必要でした。
やっと落ち着いてきたので、これから再開できそうです!
投稿が無かった期間中も観た作品は下書きがあるので、それらも清書して順次公開していきますので、そちらも見ていただけますと幸いです。

少し長くなりましたが、今回は【シー・ハルク:ザ・アトーニー】のネタバレ感想・考察をお届けします!

それでは早速、ネタバレ感想に行きましょう!

ここから先は【シー・ハルク:ザ・アトーニー】シーズン1のネタバレを含みます。
 

【ワンダヴィジョン】から始まり【ムーンナイト】や【ミズ・マーベル】など高頻度で公開されてきたMCUドラマですが、その多くが他作品との関わりが薄い比較的独立した作品でした。

しかし、本作はこれまでのMCU作品はもちろん、MCUに存在しているのかさえ怪しかったキャラクターまで登場させるという、これまでマーベル作品を追ってきた人には嬉しいサプライズの連続でした!

それだけ聞くと良い作品だと思うのですが、ネット上では賛否両論になっています。
その理由や、私の考えも含めてなども話していこうと思います。

ヒーローと別ジャンルの共存

座っているシー・ハルク

これは【ミズ・マーベル】の下書きでも書いている事なのですが、ヒーローと別ジャンルの共存の難しさが目立っているなという印象です。
第1話でジェニファーはこのドラマが法廷ドラマであると言っていました。
私も途中までそれを信じていましたが、最後まで通して観るとそれは正しいとは言えないと思います。
というのも、本作を法廷ドラマというにはその要素と現実性が薄すぎるからです。

私は法廷ドラマは少なくとも、発生計画実行の3つが必要だと思います。
まず「発生」はエピソードのメインになる事件です。
例えば、本作ではシー・ハルクの商標登録や、スーツの不具合で製造元を訴えるなどの訴訟です。
本来の法廷ドラマではこれがエピソードの殆どの時間を占めることが多いです。
次に「計画」です。
これは、「発生」した訴訟をどう解決するか「計画」することです。
例えば、過去の判例から解決策を見つけたり、相手を調べて戦略を練り上げるなどです。
後述しますが、本作ではこれが圧倒的に抜けていたと感じました。
最後に「実行」です。
これは、練り上げた「計画」をもとに、実際に裁判を行うことです。
ここから「計画」をやり直したり、他の解決策を探したりとあると思うのですが、少なくともこの3つは必要だと思います。

そして本作ですが、これらが明確に行われることがありませんでした。
実際には、法廷で弁論のようなものをしていましたが、それもあくまでおまけ程度
計画が練られている場面に関してはほとんど登場しませんでした。
その影響か、カエルスーツのエピソードでは原告(カエルスーツの持ち主)が指定と違う燃料を使っていたことさえ、裁判中に気が付くというミスを犯していました。
いくら相手の弁護士が人間探知機だからとはいえ、裁判前にちゃんと確認をしておけば絶対に防げたミスですし、それが裁判の決め手になるのはさすがに適当過ぎて驚きました。
およそ法廷ドラマとは言えない進み方なんですよね。

そもそも本作はMCUを舞台にしており、この世界には特に最近スーパーパワーを持った人が増えてきており、それを解決するには実際の法知識以外の発想が必要な場合も存在すると思いますが、あくまでベースとなるのはこれまでの歴史で積み上げられてきた法律や判例だと思います。
そこを力わざで解決していたのは残念でした。
魔術に関する裁判で争ったドニー・ブレイズの時なんて、脅迫ともとれるやり方で解決していたので驚きました(笑)
しかし、やはりそこに対する解決策を見つけるのは難しいですよね。
欲を言えば、スターク・インダストリーズの過去の判例を用いた裁判のように、他のMCU作品と絡めた裁判が観たかったです。
(スターク・インダストリーズが過去に一度でも裁判で争ったことがあるかはさておき)

私自身、法廷ドラマは好きなジャンルの1つですし、これまでも多くの法廷ドラマが作られていることを考えると人気のあるジャンルだと考えられます。
なので、恐らく法廷ドラマのテンプレートのような、ある程度決まった流れというのはあるのだと思います。
本作を私が観た感じでは、法廷ドラマというには少し中身が無さ過ぎたかなと思います。

しかし、その理由も理解できるんですよ。
それがこの章のタイトルにもある通り『ヒーローと別ジャンルの共存』なんです。
ヒーロー映画はここ数年で今までにないような盛り上がりを見せています。
その中で様々なテーマのヒーロー映画が制作されてきました。
そのテーマは、家族や存在意義、復讐など多岐にわたります。
しかし、これらはどれもテーマです。
それ自身が実際に見えるわけではなく、物語やキャラクターを通してそれが感じ取れるようなものです。
一方、ジャンルは作品自体を包むもので、例えばファンタジーやサスペンス、今回のようなリーガルドラマなど、その作品を一言で説明できるベースとなるものだと思います。
そして、このジャンルがシー・ハルクを苦しめている要因だと思います。
というのも、本作ではヒーローリーガルの2つを一度に扱っているんです。

ジャンルには、「アクションとサスペンス」や「SFとホラー」のような組み合わせやすいものがあります。
しかし「ホラーとミュージカル」や「ファンタジーとギャング」のような組み合わせが難しいものもあると思います。
そして、ヒーローというジャンルは扱いが難しいジャンルだと思います。
ヒーロージャンルは、すでにアクションやファンタジーを含んでいる場合多いですが、それらをヒーローという存在を作り上げるために使用します。
だからヒーローは飛んで、高速で動き、時には手から金属の爪を出します。
そして親切な作品はその理由を説明し、より世界観を詳細に作り上げていくのです。
しかし、ヒーロージャンルには1つ手放すことが難しいものがあります。
それが戦いです。
ヒーロー作品の多くは最終的に戦うことになります
これを避けて通るのは相当の勇気と物語性が必要になると思います。

最近のMCUドラマはヒーローと別ジャンルを同時に扱おうとしています
本作ではヒーローとリーガルですね。
しかし、これが上手くいっておらず、結局どちらか一方に偏ってしまっています。
時々それを修正しようと、急に戦いだしたり、裁判みたいなことを始めたりします
これが結局、作品の軸が定まっていないように見えてしまう原因だと思います。
シーハルクでもそれは顕著に見えていました。
正直、1エピソード約30分で全9話では両立することは難しいと思います。
1エピソードが50分程度あれば、もしかしたら両立が可能だったかもしれませんが、その分制作に負担がかかるので難しいところですね。
最近話題になり、本作でも取り上げられていたVFXアーティストの問題もありますし。

長くなりましたが、ようするに本作はヒーローとリーガルの2ジャンルを両立できていなく、時々ヒーローや弁護士をやろうとするシーンが中途半端にあるせいでジェニファー自身の話など、そこの描き方も中途半端になってしまっているのが残念でした。

 

他作品との絡みがあればそれで良いのかも

アボミネーションと戦うハルク

最初に本作が中途半端になってしまった原因について考えを述べましたが、それでも私が【シー・ハルク:ザ・アトーニー】を楽しめた理由が他のキャラクターとのコラボです。
例えば、ジェニファーの従兄として登場したハルク、フェーズ4の番人ウォン、ブルースが別人だった時に登場したアボミネーション、そして盲目の弁護士マットなどです。

特にマット・マードック(デアデビル)なんて当時Netflixで配信されている時に観て大ファンになったところから、製作終了が発表されて、契約で2年間は他のマーベル作品に出ることができないと聞いた時には1週間くらい悩み続けたくらいでしたので、本作で本格的に登場してくれた時にはしっかり叫びました(笑)
厳密には【スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム】で既に登場しており、その場面も十分嬉しかったのですが、日本では約3週間遅れでの公開だったので、無事ネタバレを踏んでしまい本当の意味で新鮮に楽しむことができなかったのです。
それに、2エピソードとはいえマットが法廷に立つ姿スーツに身を包んでいる姿など、魅力をしっかり堪能できたので嬉しかったです。

第1話から衝撃だったハルクの登場には驚きを隠せませんでした。
てっきり、中盤当たりのエピソードで登場すると思っていたので第1話からしっかり出ていたのは驚きました。
どうやら当初の予定ではシー・ハルクのオリジンストーリーは物語の後半、第8話に描かれる予定だったようです。
SNSでの本作の意見を見ると、途中で視聴を止めている人もいたので、シー・ハルクのオリジンを第1話にまわすことで少しでも観客を引き留めることができたのかなとも思います。

そしてウォンです。
フェーズ4はウォンに出会う機会が多いように思えますが、本作でもしっかり登場していましたね。
ウォンが登場する度に、知られざるウォンのプライベートや新たな一面が見れてどんどん好きになっていきます(笑)
ウォンがドラマ【ザ・ソプラノズ】をネタバレを食らいながら視聴していましたね。
この作品は1999年にHBOで放送開始された作品で、高い評価を獲得しています。
作品のネタバレはいつから解禁するべきなのか論争が度々ありますが、放送開始から約23年経っているので、許されるのか?
それとも、作品の知名度がネタバレの解禁時期に影響するのか考えはいくつかありますが、1つ共通認識として言えるのは、現在進行形で視聴中の人にネタバレをぶつけるのは危険ということでしょう。
ウォンもしっかりネタバレでダメージを食らっていましたね(笑)
ところで、ウォンが【ザ・ソプラノズ】を視聴している場所はカマータージですね。
意外なところでカマータージの環境を少し知ることができました。
もしかしたらカマータージは結構居心地が良いのかも?

忘れちゃいけないのがエミル・ブロンスキー(アボミネーション)ですね。
初登場はまだ【アベンジャーズ】が公開される前、ブルース・バナーがエドワード・ノートンだった時に公開された【インクレディブル・ハルク】です。
その後、長い間登場しておらず、そもそもMCUにいるのかさえ疑い始めた時に【シャン・チー】で再登場を果たしました。
意外にもハルク自身が劇中で「今の僕は完全に別人だ」と言っており、これはエドワード・ノートンからマーク・ラファロに変更されたことを暗に示唆していますね

このように、本作は過去の作品やこれまでMCUに属しているのさえ疑問視されてきた作品まで扱っており、新しいサーガを期待させるものになっていました。
他作品のキャラクターの登場は毎週SNSを盛り上げ、デアデビルに関しては本作の配信開始前から登場が期待されてきました。
確かに私は前の章に書いたものも含めて本作の不満点がありますが、結局他のキャラクターが出てくれると無条件で嬉しくなってしまいます(笑)
これは、これまでMCUを含めた多くのマーベル作品が積み上げてきた歴史があるからこそだと思います。
そして、結果的にそれに頼っているように見えてしまうのもまた現実です。
本作はSNSで評価を分けていました。
もし本作がシー・ハルク単体の物語であった場合、その批判はより多くの観客が抱いていたかもしれません。
他キャラクターの登場はそのように否定的な意見を持つ人を作品に引き留める大きな要因になっていると思います。

SNSでの話題性を見るにそれは成功したでしょう。
しかし、そこに頼りすぎるのは作品全体で考えた時に良い結果を生まない可能性もあります。
例えば、他の作品から登場したキャラクターが作品に大きな影響を与えるような場合は、そのキャラクター込みで作品として完成すると思います。
しかし、あくまでゲストであり作品自体に大きな影響を与えない場合は物語の進行を妨げることになる場合があります。

本作はどうだったでしょうか?
私はゲストの何人かは作品のメイン、つまりジェニファー自身に影響を与えていたと感じました。
アボミネーションやブルース、デアデビルなどジェニファーが行動を共にすることでシー・ハルクとなったジェニファーの悩みの解決や進むべき道を決めるきっかけになっていたと思います。

なら成功じゃん!とならないのが本作の厄介なところです。

 

ジェニファーとシー・ハルク

ジェニファーとシー・ハルク

では、なぜ本作が成功といえないのでしょうか。
まずこの作品のあらすじを超簡単にまとめてみましょう。

1人の女性弁護士が、ひょんなことから緑のモンスターになってしまう。
その女性は緑のモンスターになったことで様々な不幸が続くが、最終的に自分の進むべき道を見つける。
これが本作の超ざっくりとしたあらすじだと思います。

SNSではこの中身に対してポリコレだという意見がいくつか見受けられました。
その大半は「ポリコレ」が理由で作品がつまらないというものでした。
ポリコレに対する私の考えは次の章で書きますが、端的に言うと私は多くの場合、ポリコレが原因で駄作は生まれないと思います。

例にもれず本作もポリコレが原因で作品がつまらないわけではないと思います。
ではなぜ私は不満があるのか?
それがこの章の題名にもある通り、ジェニファーとシー・ハルクの問題が解決していないからです。
正確には物語上では解決したようになっていますが、その過程が雑だからです。
前の章に書いたように、他のキャラクターがジェニファーの進むべき道に関するアドバイスを与えており、ジェニファーもそれに従って進むように見えましたし、最終的には彼らのアドバイスが反映されたように見えます。
しかし、特殊なラストや配分の悪い構成のせいでジェニファーの心情が中途半端に描かれているように感じました

ポリコレは作品をダメにするのか

裁判所のジェニファー

最近ではこのポリコレ関連の否定的な話題が頻繁に流れてきます。
そして、その批判の対象には頻繁に海外の作品が利用されています。
その批判が起きる原因は目立つものが2つあると思います。

1つ目はAの作品とBの作品を比較し、Aは表現の自由があり、Bはポリコレに侵されているというものです。
意見の発信者がどれくらい両方の比較する分野(コミックや映像作品など)に精通しているかは分かりませんが、中には明らかに片方、もしくは両方の知識が乏しく、単に自分の支持する方をが優れていると主張するために使用しているものがあります。
いつの時代も2つを並べ、穴だらけの知識で自分が支持する方を上げようとする人はいるので、それは置いておきましょう。

問題は2つ目の、ポリコレが原因で作品がつまらなくなっていると考える人々です。
私はポリコレが原因で作品がつまらないわけではないと考えます。
この世界には多くの駄作が存在します。
その題材には男性や女性、もしくはLGBTQの人が困難を乗り越えるというものが多くあります。
そしてそのいくつかは、構成や脚本などが問題で駄作と言われます。
ところが、この駄作が「女性や人種」などのいわゆるポリコレと呼ばれる分類を扱うと、つまらない原因がポリコレであると一定数から評価されます。
違うんです。少なくとも私は違うと思います。

作品がつまらないのはポリコレのせいではなくて、作品自体の構成や脚本、設定などがダメだからだと思います。
それは物語のテンポや時間配分、話の整合性など様々です。
これをポリコレ要素のせいだというのはおかしいと思います。

例えば人気の作品の続編に同性愛や人種問題が組み込まれていたとして、それが駄作な理由はポリコレではなく、同性愛や人種問題を扱う時間が必要以上に長かったとか、それらを目立たせるために話に矛盾や無理やり感があったからじゃないでしょうか。
しかし、それはポリコレが理由ではなく物語の構成が悪かったり話の整合性がとれていないことが原因です。
そこでポリコレが原因だというのは浅はかな気がします。

もちろん、女性や同性愛、特定の人種に嫌悪感を示す人がいることも事実でしょう。
そのような人がそれらが組み込まれた作品を観て、不必要な同性愛描写があって嫌悪感を感じた、特定の人種が出てて観るのを止めたなど言うのは当然です。
しかし、それはあくまで個人の好き嫌いであり作品の評価ではないと思います。
不必要な同性愛描写と言われているものは、言い換えれば同性愛である必要が無いものです。
しかしそれは同時に異性愛である必要もなく、つまりどちらでも良いものでもあるわけです。
2021年公開の【エターナルズ】はポリコレ作品として批判を受けていました。
例を挙げると、ファストスというゲイのキャラクターのキスシーンが作品内にあります。
この描写について「不要な同性のキスシーン」のような批判がありました。
しかし、ここで描きたいのは「家族」なんです。
この記事は【エターナルズ】のものではないので深くは掘り下げませんが、同性愛が作品に悪影響を与えるわけではないし、あの家族のシーンは異性愛者に置き換えてもそのまま使えるまでに自然な描写でした。
それをポリコレの一言で批判するのはおかしいと思います。
もちろん、前述したように同性愛描写が苦手な人が該当のシーンを観て嫌悪感を示すのは分かります。
しかし、それは作品自体を否定することにはつながりません

私は「集合体恐怖症」なので作品に目玉だらけのモンスターが出てきたら程度によっては目を背ける可能性があります。
しかし「目玉だらけのモンスターが出てきたからこの作品は駄作だ。」はおかしいです。
作品について話すときに「私は集合体恐怖症なのであのモンスターが出てきたときは目を背けました。」と言うかもしれませんが、それは自分の好き嫌いがベースの話です。
それを根拠に作品自体を否定する理由にはなりません。

長くなりましたが、ようするにポリコレと騒がれている作品は、構成や脚本、物語の整合性に問題がある場合や、意見の発信元の好き嫌いが影響していると思います。
私は他の人のレビューを観るのが好きなので、表面ではなく中身についてのレビューをもっと見たいです(笑)

 

ラストの必要性

ジェニファーとケヴィン

本作の中でも特に衝撃的だったのが、第9話でした。
そもそもシー・ハルクは第4の壁を破壊することができるキャラクターです。
第4の壁を破壊するとは、作品と観客の間に存在する「壁」を乗り越えてくることです。
この壁があるから作品は観客側に気づくことなく影響しないわけで、それを破壊してこちら側と接触することができるのがこの「第4の壁」を破壊できることの特徴です。
他に第4の壁を破壊できるキャラクターとしてはデッドプールが有名ですね。
そして、それを最大限利用したのがラストエピソードです。

ジェニファーは授賞式でプライベートを流出させられたことに怒り、エミル・ブロンスキーに会いに行きますが、その場所こそが事件の首謀者であるハルク・キングの集会会場だったのです。
シー・ハルクになれない状態で運悪く集会に出くわしてしまったジェニファーですが、そこにはアボミネーションになったエミル、突如乗り込んできたハルクとタイタニア、ジェニファーの血を自身に投与しハルクとなったトッド(ハルク・キング)が集結するという展開になります。
この光景に嫌気がさし、ジェニファーはディズニープラスの画面から「アッセンブル」へと移動し、制作陣へ直接文句を言いに向かいます

この、自身の作品から移動する行為こそが本作で一番衝撃的な第4の壁破壊のシーンでしょう。
個人的には楽しめました(笑)
しかしその特異性から批判が出るのも分かります

私が楽しめたのは、これまでのMCUからは考えられない掟破りの行動だったからです。
自分の作品を超えて、自分の作品を制作しているディズニー本社に行くというメタ行為は観てて面白いものでした。
そもそも制作陣(本当の)がこの展開を描きたかったからこそ直前の場面で、ハルクが許したはずのアボミネーションと戦い始めたり、第1話同様に突然乱入してくるタイタニア、ブルースの分析の結果でハルクになれるのはDNAが特殊だからと出ていたのに、仲間のおかげで完璧な血清が作られてそれを摂取し自我を保ったハルクになったハルク・キングなど突飛でめちゃくちゃな状況を作ることができたのでしょう。

そもそもこの展開には観客からも一定数批判が出ることを想定してつくられたと思います。
だからこそジェニファーが制作陣に意見を言いに行くことで観客の共感を狙ったと考えられます。
なので、このめちゃくちゃな場面は説明する必要はなく、あくまで迷走状態の制作陣が作り上げたことであり、メタ視点でいえばシー・ハルクが修正するきっかけに過ぎないということです。

シー・ハルクが第4の壁を破壊して物語を変更しようとする動きは特殊で面白いものでしたが、これにより今までのMCUが否定されるという意見があるのも確かです。
確かにエンドゲームまでの積み重ねや感動、キャラクターへの出来事などが全て作られているものだと公に示されたとも言えます。
もちろん観客はMCU作品には制作陣がいてキャストがいるなど承知の上で作品を楽しんでいると思いますが、私を含め多くの人はその世界観に浸りキャラクターに感情移入したり悲しみや興奮を分かち合ったりするわけなので、制作されたものだと断言されるのは意見が分かれるところでしょう。

そしてシー・ハルクが作品の展開を変えることにも賛否両論ありました。
これができてしまうと、これまでの作品や今後の作品に大きく影響してしまうという意見がありました。
これには一部同意です。

まず、これまでの作品に影響を与えるというのは間違いだと思います。
少し難しい話になりますが、そもそもシー・ハルクが誕生したのは「本作」からです。
ジェニファーはブルースと従兄であり、これまでも弁護士としてのキャリアを歩んできました。
しかしこれは「本作」が配信されたことで誕生した事実であり、それ以前には例えセリフとして登場しようとも、キャラクター不在の状況ではシー・ハルクは存在していないに等しいのです。
つまり、今後の作品でシー・ハルクが過去の作品に影響を与えてもそれはあくまで誕生後の出来事であるということです。
とはいっても、今後もし過去の作品に重大な変更を加えることがあった場合は内容によっては私も良い感想は持てないかもしれませんが(笑)

そもそも同じ第4の壁を破壊できるキャラクターのデッドプールがここまで批判を受けていない理由はいくつかあると思いますが、理由の1つとしては直接的な変更が行われていないことがあるでしょう。
シー・ハルクは物語の展開を文字通り書き換えましたが、デッドプールはカメラを意識し観客に語りかけたり、メタ発言をする一方、物語自体に直接影響を与えることがないです。
例えば【デッドプール2】でもヴァネッサを救うために、脚本家を脅すのではなくケーブルのタイムマシンを使用していました。
このように、物語の書き換えに直接「第4の壁」を破壊することをしない絶妙なラインを維持しているのが理由だと考えられます。
【グリーンランタン】の脚本を読むライアン・レイノルズや【ウルヴァリン:X-MEN ZERO】の出来事を無かったものにしようとしていますが、それはあくまで「過去の別作品」なんです。
つまりデッドプールがそこに変更点を加えようとも、既に存在している過去の作品が変わることはないです。
もしこの行為をX-menやグリーンランタンが正史として扱いだしたら話は別ですが、そんなことをするとは考えにくいですし、それをしない限りはデッドプール内で起きたジョークとして片づけられます。
つまりデッドプールは自分の作品には直接的な影響を与えず、他作品を扱う際もある意味「配慮」しているということです。
これがシー・ハルクとデッドプールの「第4の壁」の破壊の違いだと思います。
その上でシー・ハルクは自身の物語に直接変更を加えているので、それが論争の原因だと言えます。

2つ目の今後の作品に影響を与えるというのは、可能性として十分あり得ると思います。
というのも、フェーズ4に入ってからのMCUは作品の外側を扱うことが多くなっているように感じるからです。

例えば【ホワット・イフ】では、ナレーターとしてウォッチャーが登場していますし、ウルトロンも作品の壁を破ってウォッチャー側に接触してきていました。
【ワンダヴィジョン】では「第4の壁を破って」という題名のエピソードが登場しています。
他にも【ロキ】ではカーンを出してきました。
厳密にはカーンは第4の壁とは違うのですが次の章『AIケヴィンが意味するもの』で紹介する私の考えを参照すると、マーベルはMCUのカーンを第4の壁に接触できるように変更する可能性があるんじゃないかなと思います。
詳しくは次の章で書くのですが、仮にカーンがその方向性に進む場合、シー・ハルクが物語を書き換えることができる問題も解決できるので0.1%位の確率で存在すると思っています。
そうなると次のサーガは第4の壁とマルチバースという特性を利用した展開を迎えるかもしれません。
つまり、シー・ハルクが第4の壁を破壊するという行為が今後のMCUに影響を与える可能性があるということです。
これが私の、シー・ハルクが作品の展開を変えることによる2つの場合の影響に対する考えです。

話を本作のラストの展開に戻します。
シー・ハルクの第4の壁破壊と物語の変更について肯定的とも否定的ともとれる考えを書きましたが、本作に限ると私は否定的です。
というのも、作品単体で観た時にどうしても都合がよくなってしまうからです。
これの理由はやはり前述した『シー・ハルクが物語の展開を丸ごと変えてしまう』ことが原因です。
そもそも原作では第4の壁を破ることができるキャラクターは作品のクリエイターに干渉することがあるので、原作重視の演出ではあります。
つまり、これに関してはあくまで私の好みです。
できればもう少し小さな変更にとどめてほしかったのが正直なところです。
本作のラストエピソードでは、ハルク・キングの集会が丸ごと修正されていました。
これが残念なのですが、シー・ハルクの特性をインパクトよく見せるには十分な方法なので否定はしません。

ではどうすればよかったのか?
私は、もう少し小さな変更を加えるほうが良かったと思います。
例えば、トッド(ハルク・キング)が血清を打たないようにするとか、アボミネーション(エミル・ブロンスキー)の登場を止めるなど1つの要素を変更することにとどまった方が良かったということです。
そうすれば集会のシーンが丸ごと消えることはなく、あくまで1つの事実が変わっただけにとどまるので、より批判的な意見は少なかったのかなと思います。

そしてここが大事だと思うのですが、結果を見せるべきだったと思います。
というのも、シー・ハルクが物語に変更を加えた後、集会のシーンに戻ることはなくトッドとエミルが逮捕される場面に切り替わります。
急に切り替わることで集会のシーンのあり方に疑問が生まれてしまうんです。
場面が変わると事件が解決しているのは、物語を重視する観客にとって拍子抜けになってしまいます。
なのでシー・ハルクが物語の展開を変えたあとは集会の場面に切り替わり、そこでジェニファーがシー・ハルクとして、弁護士とヒーローの両方を使った解決策で物語を終わらせた方がジェニファーの悩みや男尊女卑に対する意見など本作で提示された様々な要素の解決につながると思いました。

なので、ラストの第4の壁を破壊して物語を変える行為は挑戦的で面白いと思いましたが、大部分を変えるのではなく1部を変え、そのまま終わりではなく、その結果に対するアプローチを描いたほうが良かったと思います。

ところで、シー・ハルクが直談判したケヴィンはAIでしたよね?

 

AIケヴィンが意味するもの

ケヴィン

本作のラスト、シー・ハルクは物語の展開に納得できず第4の壁を破壊してディズニー本社に乗り込みます。
そこで待ち構えていたのはケヴィンでした!
しかしケヴィン・ファイギではなく、知識拡張型映像相互接続体(K.E.V.I.N)でした。
これを観て、これまでのMCUを動かしてきたケヴィンは実はAIだったんだというネタ要素に感じる人も多いと思います。

しかし、おかしな点が存在するんですよね
それが、シー・ハルクが第4の壁を破った先AIケヴィンのいる世界だったということです。
そもそも第4の壁を破壊する行為は作品に存在する見えない壁を破壊してこちら側に入ってくるという認識です。
そうなるとシー・ハルクが行った先にいるのは人間のケヴィンのはず。
このことから、私はMCU内に2つの壁が存在すると考えます。

MCUの壁の説明

上の図は私が考えるMCUに存在するかもしれない壁を現したものです。
一番右がMCUの世界、つまりシー・ハルクが普段居る世界です。
そしてその間に壁があり、その先にあるのがAIケヴィンがいる世界です。
私が考えるのは、そこからさらに壁があり、その先が私たち観客がいる世界だということです。

というのも、私たちの知る実際のケヴィンはAIではなく人間であることは間違いないでしょう。
そうなると第4の壁を越えた先でAIケヴィンに会ったのはおかしいです。
ようするに、シー・ハルクのような第4の壁を超えることができるキャラクターが認識している「外」はAIケヴィンがいる場所であり、実際にはもう一つ私たちのいる「外」が存在しているということになります。
つまり、AIケヴィンやそこにいた制作陣もまた、私たちの世界の制作陣によってつくられた存在と言えるでしょう。
そもそも、黒幕が実はロボットで裏に真の黒幕がいるという展開は【ロキ】で前例が作られていることからあり得ると思います。

そしてさらに、私はこの展開が後のMCUに影響を与えるのではないかと考えています。
それが前の章で少し書いた『カーンが第4の壁を破壊できるようになるのではないか』というものです。
ここまでの話を理解していただけたら分かるかと思いますが、カーンが破る第4の壁の先にあるのはAIケヴィンがいる世界です。
つまり私たちの世界に接触するのではなく、AIケヴィンの世界に接触するということです。
そうするとMCUは第4の壁をメタ要素だけではなく、存在する見えない壁として扱うこともできるようになります。
つまり壁を作品の道具として使用できるようになるわけです。

これができるとMCUのカーンの扱いが変わります。
原作ではカーンは様々な時代に干渉し、色々なカーンを存在します。
その主な方法がタイムトラベルですが、これに第4の壁を破壊し現実を書き換えるという方法が加わるとさらに面白いものになるのではないかと思います。
例えば【ハリーポッターと死の秘宝】で、これまで存在を認識していなかった魔法界にいたデスイーターがマグルを襲うように、MCUの世界からAIケヴィンがいる世界に物語の書き換えを目的でカーンが襲撃してくるような展開が考えられます。
ただ、恐ろしく複雑になりますし、マルチバースという便利で使いやすい概念があるのでそっちを採用する可能性の方が高いと思います(笑)

以上が私の考えるAIケヴィンの登場理由ですが、そもそも私がAIケヴィンに対してもやもやしているの原因なので、正直どうなっても面白ければ良しだと思います(笑)

デアデビルはどうなるのか

デアデビル

本作でも特に衝撃的だったのが、デアデビル(マット・マードック)の登場です!
私が初めてチャーリー・コックス演じるデアデビルに出会ったのはNetflixで配信された【デアデビル】でした。
数年にわたり【デアデビル】や【ルーク・ケイジ】など様々な作品が配信され、それらのクロスオーバー作品もあり大好きでした。
Netflixのマーベル作品はMCU作品に比べて大人向けで、私はその作風が大好きでした
しかし、2018年に製作終了が発表され当時の私は意気消沈しました。
さらにNetflixのマーベルキャラクターは制作終了後2年間は他のマーベル作品に登場することができないとあり、絶望しました。
その後2年の時を経て【スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム】で満を持して登場したマット・マードックに大興奮し、本作で比較的長い時間登場したデアデビルに感動しました。

そんなデアデビルですがNetflix版とは違い、原作でも登場している黄色が目立つスーツに身を包み、およそ人間とは思えない身体能力を披露していました。
スーツには様々な意見が見受けられますが、私は散々Netflixの赤いスーツを見慣れていたので違和感があるのが正直な感想です。
黄色のスーツにしたのには何か理由があるのでしょうか。
妄想癖の私は、今後製作される作品【デアデビル:ボーン・アゲイン】でたくさんの血を浴びていく中で、血が目立たないように作中で赤色に変更するんじゃないかと考えています(笑)

デアデビルの身体能力に関しては実写の感じが好きだったので、そっち寄りでいってほしかったです。
本作のデアデビルは、ベン・アフレック主演の映画版【デアデビル】の身体能力に近かったですね。
武器の扱いも原作寄りになっており、Netflix版とは結構違う印象でした。

そもそも本作に登場したデアデビルはNetflix版と同一人物なのでしょうか?
ジェニファーがマットと話している中で「僕はデアデビルだ」というセリフから、マットはデアデビルという名前は知名度があると思っていたと考えられるのでNetflixと同一であると考えることができます。
詳しいことは配信が予定されている【デアデビル:ボーン・アゲイン】で描かれると思うので今から楽しみです。
どうやら、シー・ハルクのデアデビルよりも暗くなると言われているのでNeflix版のような雰囲気になってくれると嬉しいです。

本作のデアデビル語るうえで、ジェニファーとの関係も外せません。
デアデビルやジェニファーが軽いと言われることがありましたが、正直Netflix版のデアデビルでもエレクトラと急に始めたりしていたので、そこまで気にしませんでした。
それよりもマットとジェニファーが付き合い始めたので、今後の両方の作品にどう影響を与えていくのか楽しみです

 

おわりに

ということで今回は【シー・ハルク:ザ・アトーニー】のネタバレ感想・考察をお届けしました!
いかがだったでしょうか?

シーズン2があるかまだ分かりませんが、まだ描けることはたくさんあると思います。
ソコヴィア協定が廃止され今まで以上に超人が増えてくることが予想されるので、超人案件も増えていくと思われます!
作中でジェニファーが質問していたように、今後X-MENが登場することでMCUにミュータントが大量に登場することも案件の増加につながるでしょう!
そうした時に超人専門の弁護士が必要になると思うので、その時はシー・ハルクの出番です!
もっとリーガル寄りのドラマになってくれると私は嬉しいのですがどうなるか今から楽しみです。

最後までご覧いただきありがとうございました!