『バービー』ネタバレ感想_炎上した映画は今の世界を皮肉る

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バービーのタイトル レビュー

こんにちは、シネマトレンドです。
今回は映画『バービー』のネタバレ感想をお届けします。
本作は主演にマーゴット・ロビー、ボーイフレンドのケンにライアン・ゴーズリング、監督はグレタ・ガーヴィグとなっています。
日本では公開前から結構炎上してしまったバービーですが、本作は予告から内容を想像するのは少し難しいような、だけどとても面白い映画でした。
この記事では最初に炎上したミームが映画に与えた影響、そしてその後にネタバレ感想をお届けします。

この記事で話している内容はYouTubeで動画にもしているので、動画でご覧になりたい方はこちらからどうぞ!

バーベンハイマーの影響

本作は公開前からバーベンハイマ―としてミームになりました。
このバーベンハイマ―によって、オッペンハイマーのチケットを購入した人の5分の1がバービーのチケットも買うことになりました。
これも影響してか、映画『バービー』の興行収入は当初の予想を大きく上回っており、『スーパーマリオブラザーズムービー』の興行収入を超えて、バービーは今年公開の映画で第1位の興行収入になっています。

そしてこの映画は北米でのワーナー・ブラザーズ史上最高の興行収入も記録しました。
これまでは2008年公開のダークナイトが記録を保持していましたが、まさかバービーが破ることになるとは思っていませんでした。

全世界での興行収入も、2011年の『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の13億4,200万ドルに次ぐ第2位です。

本作の監督を務めたグレタ・ガーヴィグ監督は北米で女性監督として最大の興行収入も記録しています。
ここまで本作が映画史に影響を与えていると、今後の動向が気になります。

それでは、本作の内容に入っていきたいと思います。

ここから先は『バービー』のネタバレを含みます。
 

今の世界を皮肉る映画

まず簡単な結論から言うと、本作は女性のエンパワーメントをテーマにしながら、どちらかに偏ることの危険性も同時に描いたある意味では双方への皮肉ともとれる作品でした。
各所にちりばめられたジョークも多方面を煽るものになっており、それも今の世界で問題になりがちなものへの皮肉にも見えました。

その理由として、まずバービーランドと人間世界の対比が挙げられます。
本作に登場するバービーランドは、これまで販売されてきたバービーたちが住む世界です。
そこでは、大統領やノーベル賞受賞者、弁護士もみんなバービー、つまり女性です。
しかし、バービーランドのケンは何者でもなく、ただのバービーを愛するボーイフレンドの役割しかありません。

一方、人間世界は大げさなまでの男性社会になっており、例えば登場する会社員や作業員、警察官も全員男性になっています。
この対比が結構本作で重要だったと思っていて、本作は女性のエンパワーメントを描いた映画ながら、バービーランドの方を皮肉っているんです。

バービーランドは完璧じゃなく、むしろ異様な世界になっています。
例えばバービーランドで演説が行われた場面では、演説が終わるとバービー全員が拍手と歓声を挙げる、常にチアリーダーみたいになっており、その場面にケンはいません。
バービーが人間の世界に行くときも、自分が女性の地位を向上させた尊敬される存在だと思っていました。
この無自覚の女性中心主義がバービーランドでは出来上がっていました。

じゃあ人間社会が完璧かというとそんなことは無くて、こちらは男性中心主義が出来上がっていました。
本作に登場するマテル社の上層部は男性で構成されており、女の子に夢を与えると考えるバービー人形でさえ、男性だけの会議で構想が練られていました。
対象になる人の意見が無い状態で、それに対する物事を話し合うことを皮肉ったのがマテル社でした。

このように本作では誇張された男性社会と女性社会が描かれており、どちらかに偏ることの危険性を示していると思います。
じゃあこの社会に対する答えは出ていたのか。というとそれは明確に示されたとは思えません。
終盤でバービーはバービーランドに男性社会を持ち込んだケンから世界を取り戻します。
ここでバービーは、ケンの本音を聞き、ケンに自身の存在意義を問います。
ただ、それが直接的にバービーランドのバランスを約束するものかというと、確証はありません。
というのも、バービーが取り戻した後のバービーランドは描かれないからです。
このバービーが男性から女性社会を取り戻すという展開に女性のエンパワーメントを感じるものの、そもそもそれが本作において正解かと言われると、元のバービーランドをみているからこそ、疑問を持ってしまいます。
ラストで明確に改善されたバービーランドが描かれればその疑問は解消すると思いますが、現状の男性中心社会が改善するか分からない今とバービーランドを同等に扱い、ここはあえて描かなかったのでしょうか?

誇張された双方中心の社会が描かれることで、観客が男性か女性かに関わらず片方が中心となる社会の惨状を伝えることができていました。

 

豪華なキャスト

次にキャストについて話したいと思います。
本作に登場するキャラクターはほとんどがバービーとケンなのですが、それを演じた俳優が好きだったので少し紹介します。
まず、定番バービーを演じたマーゴット・ロビーですね。
これまでハーレイ・クインやアイトーニャなど、さまざまな役をこなしてきましたが、今回のバービーもバービーでした(笑)
メソッド演技法と呼ばれる、キャラクターを追体験して役柄に入り込むものがります。
これは演技の面や実生活に与える影響などから賛否があるものですが、これによりリアルを追求した演技ができることがあります。
マーゴット・ロビーは、自分はメソッド演技法をしていないと言っているのですが、それを疑ってしまうくらい演じ分けがうまいですね。
ケン役にはライアン・ゴズリングやシム・リウなどいろんなケンをみられてとてもよかったです。
特にシム・リウは演技を楽しんでる感じがしてこっちまで楽しくなりました。
そして本作にはネットフリックスオリジナルドラマ『セックス・エデュケーション』から3人出演していて、個人的にうれしかったです。
ノーベル物理学賞バービーを演じたエマ・マッキーはヘアスタイルから服装まで、めっちゃ可愛かったですし、チュティ・ガトゥのケンのファッションも好きでした。
マテル社のインターン役のコナー・スウィンデルズもあの独特な雰囲気は健在でした。
バービー役には他にも、作中でも流れた『Dance The Night』を歌っているデュア・リパやプロレスラー兼俳優のジョン・シナなども出演していました。
個人的にデュア・リパの曲は好きなので『Dance The Night』はお気に入りになりました。

 

ケンとマンスプレイニング

本作はタイトルの通りバービーの映画でしたが、同時にケンの物語でもありました。
バービーランドは完全な女性社会が出来上がっており、そこにケンの居場所はありませんでした。
バービーは大統領や弁護士などの職業があるのに対してケンはバービーのボーイフレンドとしての役割しかありませんでした。
マテル社からも忘れられていました。
ライアン・ゴズリング演じる金髪のケンも役割はビーチの人でした。
そんなケンは人間の世界に来ることで男性社会に触れることになります。
そこで得たものをバービーランドに持ち込むことで、バービーランドを乗っ取りました。
そんなケンに洗脳されたバービーを救うためにケンの気を逸らす作戦として、マンスプレイニングを逆手に取った作戦を決行します。
Photoshopを教えるケンや眼鏡を外すケンなどがいましたね。
そんなこんなでバービーランドを取り戻したバービーですが、ケンが裁判の男女比率を求めたときには、今は無理だと回答します。
これにより、バービーランドの女性社会は続いていくと思われますが、結局これが現代の男性社会に通ずるものがあると考えると、本作のような男女両方の観客に訴えることができる映画は重要かもしれません。

 

女性の選択と自由

本作は映画『2001年宇宙の旅』の類人猿がモノリスに触れる印象的なオープニングをオマージュした場面から始まります。
類人猿の骨の代わりにベイビードール、そしてモノリスの代わりにバービー人形になっていました。
この場面は元ネタから、ベイビードールがそれまでの一般的なドールで、バービーがそれを前時代的なものにする革命的なものということになるでしょう。
バービーが登場して、これまでベイビードールで遊んでいた子供たちが一斉に破壊し始めるシーンは暴力的でありつつも、母親という役目から解放された時代の移り変わりを表現した印象的な場面でした。
バービーが現れる前のナレーションでも、子育てのストレスを思わせるセリフも登場していました。
バービーの登場により、ドールに対する考え方が女性=母親という前時代的な考えから脱却し、他者への奉仕ではなく自己の投影にシフトしたと言えます。
だからこそ、作中でもバービー自身が女性の地位向上に貢献したと思い込んでいました。
ただ、物は簡単に変化できても世界はそう簡単にはいきませんでした。
バービーの思い込みもむなしく、女性の地位向上はかなっておらず、映画『バービー』は特に顕著な男性社会が構築されていました。
ティーンエイジャーのサーシャからは「ファシスト」と言われる始末です。
2001年宇宙の旅のオマージュからもわかる通り、登場当初のバービーはドールを進化させた革新的なものだったかもしれませんが、現代においてそれはむしろ負の象徴としての側面が強くなってきたのかもしれません。
そんな革新から負の象徴まで、時代とともに移り変わってきたバービーですが、物語のラストでは婦人科を訪れていました。
私はこれがバービーが妊娠をしたと解釈しました。

このエンディングには明確な答えが用意されておらず、観客によって解釈が異なると思います。
私が妊娠だと考えた理由は、作品の流れとこれまでのバービーの言葉です。
本作はさっき話したように、女性=母親という、それまでの固定概念を覆したバービー人形の誕生から始まります。
これにより、バービーが女性にたくさんの可能性を与える存在になったとバービー自身も考えていました。
そして作中では、バービーとケンの性生活や性器についての言及が何度かありました。
例えばドリームハウスでケンがお泊りを提案しましたが、バービーとケンはそのあと何をするのか分かっていませんでした。
そして人間の世界へやってきたときには、バービーとケンが自分の性器がツルペタであることを伝えていました。
英語ではもっと直接的な表現でしたが、性器の概念が無いというのは人形と人間を区別する明確なものだと思います。
そしてラストにグロリアが普通のバービーを提案します。
その一例として母親を出していました。
この母親という例は、冒頭のドールの革新に繫がります。
さっき話したように、映画の冒頭ではバービーの登場により女性=母親という固定概念から、女性に様々な可能性が与えられることになります。
しかし、時が経った現代では女性の可能性を広げたバービーは、そのバービーの体形などから、むしろ女性の多様性を狭めていると言われていました。
特にマーゴット・ロビー演じる定番バービーはその特徴が顕著です。
そのバービーが母親になることで、バービーでさえグロリアの言う普通の女性であるということを示しています。
物語の途中で、グロリアが死について考えるバービーやセルライトができたバービーをデザインしたときに、それが定番バービーに影響していたことからも、ラストでグロリアが提案した普通の母親のバービーもマーゴット・ロビーに影響したのかもしれません。

 

※追記
普段私は感想を書くときに他の人の感想動画やブログ、SNSの感想などは見ないようにしています。
というのも、それらを見てしまうと私の感想に影響が出そうだからです。
あくまで私が届けるのは何か特別な理由がない限り、完全に私の感想になります。
感想を書いているときは制作陣のインタビューでさえ見ないようにしています。
それは自分の解釈と制作陣が伝えたかったものが一致しているとは限らないからです。
そして、本作のレビュー動画を撮り終えて編集をしている段階でバービーのラストの解釈について監督のインタビューがあったので見てみました。
これから引用させていただくのは、USA Todayというメディアのインタビューでグレタ・ガーヴィグ監督が話したものです。
このインタビューでガーヴィグ監督は
「マイクドロップのようなジョークで終わりたいと思っていましたが、それはとても感情的でもありました。
私が10代の女の子だったとき、成長して自分の体について恥ずかしくなり、言葉では言い表せないほど恥ずかしく感じたのを覚えています。
すべてを隠さなければならないように感じました。
そして、バービー役のマーゴットが昔ながらの満面の笑みを浮かべて、最後にとても幸せそうに言葉を言う姿を見ることができたのです。
女の子たちに『バービーもやるよ』という気持ちを与えることができたら、それは面白くて感情的になる、と私は思いました。
映画全体を通して、そういうことがたくさん出てきます。
常に軽やかさと心を探ることでした。」
と述べています。
つまり、ガーヴィグ監督が10代の頃に隠さなければいかにように感じた自分の体の変化を、女性の象徴だったバービーが笑顔で婦人科を受診することで、隠さなくていいんだよというメッセージを届けようとしていたということだと思います。
USA Todayのインタビューを引用して、オンラインメディアのInsider
「生理、妊娠、子宮頸部細胞診など、女性としての身体的な恐怖にもかかわらず、私たちはコミュニティの中で安らぎを見出します。
婦人科医に行くというのは、私たちが共有する冗談のひとつであり、愚痴をこぼしたい類のものです。
憐れむことは精神的な苦痛を和らげます。」
と述べています。
ここで使われている「冗談」は英語で「in-jokes」つまり、特定のコミュニティだけで伝わるジョークということです。
今回の場合は女性ですね。

このように、本作のラストで監督が伝えたかったのは世界中の女性が抱える共通の不安への手助けでした。
それでは次になぜ私の解釈と監督の伝えたいことがずれたのかについて考えます。

その理由として考えられるのが、身体的な変化への身近さの違いだと思います。
まず、私は男性の身体的特徴を持って産まれました。
その後に身体的な変化を加えたわけでもないので、婦人科にかかることはこれまでありませんでしたし、知識もあまりありません。
そうした私にとって、婦人科の解像度は低く、産婦人科という似た言葉も相まって妊娠出産関連の診察を受ける場所という認識でした。
ただ、女性の身体的特徴を持った人にとって、婦人科というのは妊娠出産以外にも、特有の悩みや病気を診てくれるもっと身近なものという認識なのかもしれません。
ロシュ・ダイアグノスティックス株式会社が、日本、イギリス、フランス、スウェーデン、オーストラリアの5か国で16~39歳の女性500人を対象に起こった調査では、日本人女性の婦人科受診経験者は55%になったと出ています。
つまり約半数が婦人科を受診したことがあるということになります。
このように女性の婦人科への認識というのは、私のような馴染みがない人との乖離があると思います。
だからこそ、女性として生きてきたガーヴィグ監督と男性として生きてきた私の間に知識のギャップがあり、それがラストの解釈の違いにつながったと思います。
本作は女性のエンパワーメントを目的とした映画であるため、女性へのメッセージを込めたラストだったのかもしれません。
それこそ、Insiderが使っていた「in-jokes」と似たものなのかもしれませんね。

 

さいごに

今回は映画『バービー』のネタバレ感想をお届けしました!
日本では公開前から、現状への問題提起と社会風刺満載で考えさせられるとともに楽しめました。

最後までご覧くださりありがとうございました!