実写版『ピーター・パン&ウェンディ』ネタバレ感想_現代版ピーターパンは何を描いたか

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ピーターパン&ウェンディのアイキャッチ レビュー

2023年にディズニープラスで配信開始された『ピーター・パン&ウェンディ』はいくつかのアニメと異なる点があることでSNSで議論を巻き起こしました。
本作はアニメ版の完全再現を望んでいた人には残念かもしれません。
しかし『ピーター・パン』という作品を新鮮な視点から観ると、本作はよくできていたと思います。
ということでこの記事では『ピーター・パン&ウェンディ』のネタバレ感想をお届けします!
1953年公開のアニメ版『ピーター・パン』のネタバレ感想も書いているので、そちらもぜひご覧ください!

アニメ映画【ピーター・パン】ネタバレ感想_1953年に公開したディズニーのネバーランドを舞台にした超有名作品の評価
1953年公開のアニメーション映画【ピーター・パン】は少年ピーター・パンと、夢見る3人の姉弟がネバーランドがネバーランドで繰り広げる冒険を描いた作品です。 いまやディズニーのアイコンとなったティンカーベルやヴィランのフック船長など個性的なキャラクターも多く登場します! この記事では映画【ピーター・パン】のネタバレ感想をお届けします!

【ピーター・パン&ウェンディ】概要

【原題】
Peter Pan & Wendy
【日本公開】
2023年4月28日
【監督】
デヴィッド・ロウリー
【キャスト】
アレクサンダー・モロニー、エヴァー・アンダーソン、ジュード・ロウ、ヤラ・シャヒディ、ジョシュア・ピカリング、ジャコビ・ジュープ、ジム・ガフィガン、ノア・マシューズ・マトフスキー、セバスティアン・ビリングズリー・ロドリゲス、
ロンドンに住む大人になりたくないウェンディと、その兄弟のジョンとマイケルはピーター・パンの物語が大好きで、部屋ではピーター・パンごっこをしていた。
ウェンディは寄宿学校へ送られる日が近づいていたが、窓からティンカー・ベルが入ってきたことでネバーランドの壮大な旅に出ることになる。

おすすめポイント

ピーターパンといえば1953年公開のアニメーション映画『ピーター・パン』を想像する人も多いでしょう。
そんな不朽の名作を世に送り出したディズニーが現代に実写化したのが本作『ピーター・パン&ウェンディ』です。
実写化とひとくくりにしても、その中身はアニメーションの焼き回しではなく、むしろ独自の解釈で展開されるオリジナル作品という方が正しいかもしれません。
日本では「実写化」という言葉が独り歩きしている本作ですが、英語では「Reimagining」つまり再考という言葉で説明されています。
この言葉は「リメイク」や「リブート」とは違い、前にある同種の作品(今回の場合はアニメーション版ピーター・パン)を参照しないものです。
実際、公式サイトでも「新たなストーリーで実写映画化!」と説明されています。
なので、アニメーションを参照した完全一致の実写化を求めて鑑賞すると、思っていたものと違うことに驚くかもしれません。
しかし、ウェンディたち姉弟とピーター・パン、フック船長が登場する物語を1から新鮮な目で観れれば本作はよくできていたと思います!

ここから先は『ピーター・パン&ウェンディ』のネタバレを含みます。
 

ネタバレ感想

現代版ピーター・パン

ピーター・パン

本作はアニメーション版ピーター・パンが公開されてから約70年後に公開された作品です。
この70年というのは映画のあり方が変わるには長すぎる時間でした。
特に大きく変わった部分としては、ストーリーや設定の説明が必要になったことだと思います。
『ピーター・パン』で例えると、アニメ版ではウェンディたちが捕まえた影を取りに来るピーター・パンでしたが、実写版ではウェンディをネバーランドに連れて行こうとするピーターパンでした。
アニメ版を鑑賞した時、影を捕まえたことへの言及がなさ過ぎてとても違和感がありました。
そもそもピーター・パンの影を捕まえていれば、ピーター・パンがおとぎ話の存在ではないと知っていることになってしまいます。
そこで、実写版では大人になりたくないウェンディをネバーランドへ連れて行こうとする設定に変更されていました。
影を捕まえたウェンディと、誘拐されるウェンディでは後者の方が上手く変更されていると思います。
本作を鑑賞した方の中には感じた人もいるかもしれませんが、意見の相違があるフック船長を強引にネバーランドから追い出したりとピーター・パンは自分勝手なんですよね。
この、自分の考えが正しいと考えて行動してしまうピーター・パンならやりかねないと思わせるウェンディ誘拐は上手いなと思いました。
他にも、アニメ版ではネバーランドへ行くためにビッグベンから飛び立つウェンディたちが印象的でしたが、本作ではビッグベンから別次元にワープするという方式がとられていました。
アニメ版の自力で飛び続ける演出も良かったですが、マーベル映画に登場するワカンダでもない限りロンドンからネバーランドを隠し続けるのは無理があります。
そこでネバーランドを別の次元にすることで解決していました。
確かに歳をとらない世界は別次元であると考えた方がつじつまが合います。
この「ストーリーや設定の説明が必要になった」ということは『ピーター・パン』だけに限ったことでは無いですが、現代ではどこまでご都合主義を無くせるかがポイントになっているように感じます。
その点で、本作はアニメ版でご都合主義になっていた部分をより具体的に描いたり、キャラクターの内面を深掘りしていたため、違和感なく見ることができました。
ただ、この変更は言い換えればアニメ版の設定を無かったものにするということで、本作をアニメ版のリメイクだと思って鑑賞した人からは不評になってしまうかもしれません。

 

良い演出と微妙な演出

ビッグ・ベン

本作はファンタジー映画ということもあり、魔法のようなCGが多用されていました。
まず印象的だったのがネバーランドへ行くシーンです。
ここでネバーランドに行くために別次元の入り口のような場所に行きましたが、個々の演出がとてもオシャレでした。
あのシーンだけでも映画館で観てみたかったです。
時間を止めるネバーランドへ行くために経由する謎の場所を描くにはとても良い方法だったと思います。
あそこから水の上を飛んでいる描写への移り変わりもスムーズでした。

一方で微妙な演出というのもありました。
特に気になったのが、ピーター・パンの動きです。
ピーター・パンは空を飛ぶことができますが、その動きがもっさりしていました。
アニメ版のレビューの時にも書きましたが、アニメのピーター・パンはバレエダンサーのように動きにメリハリがありました。
これはピーター・パンの飛行能力を際立たせていました。
一方で実写版は動きにメリハリがなく、糸で引っ張られているように感じました。
もっさりした動きは飛行シーンだけではありません。
ピーター・パンがフック船長と戦う場面でもあらかじめ決められた動きをしているだけのように見えました。
もちろん撮影の前段階で剣闘シーンの振り付けを覚えます。
しかしその振り付けが一定の速度で行われているだけであり、緊張感のある剣闘にはなっていませんでした。
『ピーター・パン』においてフック船長とピーター・パンの戦いは1つの人気要素だと思うので、そこが微妙だったのは残念でした。

 

変更されたティンカー・ベル

ティンカー・ベル

本作で一番びっくりしたのがティンカー・ベルです。
ティンカー・ベルと言えばアニメ版にも登場した妖精です。
予告編でティンカー・ベルの肌の色が変更されたことが議論をよんでおり、YouTubeでは低評価が高評価を上回るという事態も起きていました。
私は、ティンカー・ベルに限らず、キャラクターの容姿は当人が最初に観たキャラクターに依存すると思っていて、例えばディズニーがアニメ版『ピーター・パン』を公開する30年前の1924年に『ピーター・パン』はサイレント映画化されていますが、そこに登場するティンカー・ベルは黒髪です。
しかし、ディズニーブランドのアニメーション版が有名なのは言うまでもなく、そのティンカー・ベルが多くの人のオリジナルとして定着しているからこそ、ティンカー・ベルの容姿がイメージと違うという考えが生まれます。
しかしこれは、SNSで発信できる年齢の人のティンカー・ベル像がアニメ版だということです。
1924年のサイレント映画のファンであれば、アニメ版ティンクの容姿に違和感を持つでしょう。
しかしサイレント映画を観て育った世代は2023年現在、60歳~80歳程度ということになります。
そうなると本作を鑑賞してSNSで意見を発信するということは難しく、SNSが影響力を持つ現代においてサイレント映画の意見というのは無視されがちです。
だからこそ、SNSを使える世代に馴染みのあるティンカー・ベルの容姿がオリジナルとして固定化されていると考えます。
そしてこれは未来の世代にも共通します。
赤ちゃんの世代、そしてこれから生まれてくる世代が『ピーター・パン』を初めて鑑賞するとき。
その時に選択肢は私たちが子供時よりもたくさんあります。
その中で今回の実写版『ピーター・パン』は1つの選択肢になるわけです。
そうなった時、私たちの固定概念であるティンカー・ベルが古いものになる可能性もあります。
SNSを見ていると「実写版はティンカー・ベルじゃなくてイリデッサ(ティンカー・ベルの単独作に登場する妖精)だ」という意見が見受けられますが、これこそが固定概念です。
アニメ版が出た当初も、サイレント映画のファンがアニメ版ティンカー・ベルのことを「これはティンカー・ベルじゃなくてマリリン・モンローだ」と思ったかもしれません。
これは複数の映像化を持つ作品にはつきものなのかもしれませんね。
それぞれの固定概念があり、それを崩す作品が現れると固定概念との相違から反発を起こす。
しかし今回の実写版『ピーター・パン』をややこしくしているのが、前述している「アニメの実写化」という言葉の独り歩きです。
本作は「Reimagining」であり「リメイク」ではないことがもっと一般に浸透する必要があります。
この差はとても大きく、今でもこれまでのディズニーの実写化作品をアニメのリメイクだと思っている人も多いです。
日本ではこの「Reimagining」という言葉が定義化されていないからこそ、毎回的外れの議論が繰り広げられてしまいます。
といっても有名なティンカー・ベルの肌の色が変更されていると違和感を持つのもわかります。
実際、私も最初に予告編を観たときは一番印象に残りましたし「これはSNSで議論が巻き起こるぞ」と思いました。
私は実写化されたときにキャラクターの崩壊を起こしていなければ、肌の色や人種が変更されることに対して抵抗はないのですが、それでもアニメ版『ピーター・パン』の世代ですし、アニメと実写化の容姿の違いに衝撃を覚えました。

そんな私が一番驚いたのがティンカー・ベルの性格です。
アニメ版のティンカー・ベルはお世辞にも良い妖精とは言えず、ウェンディへの嫉妬心から殺害しようとします。
アニメのティンクは可愛いですが、この嫉妬心が強いという性格から、あまり好きではありませんでした。
しかし、本作では温厚な性格になり、怒りを見せる場面もありますがそこにも納得のいく理由があります。
個人的にはこの性格の変更が一番衝撃的でした。
ティンクの扱いも変わっていました。
アニメ版ではピーター・パンがウェンディたちに妖精の粉を振りかけるときに、ティンクをまるで胡椒入れのように扱っていましたが、実写では自ら粉を親切に振りかけてくれるという優しさも見せています。
さらに飛び方まで丁寧に教えてくれました。
私は、キャラクターは容姿ではなく性格で形作られると思っています。
今回の『ピーター・パン』に限ったことでは無く、キャラクターの容姿が変わっても性格が一致していることは重要だと思っています。
その点で、嫉妬心を無くしたティンカー・ベルはティンカー・ベルなのか?というのは個人で解釈が分かれるところですが、私のイメージするティンクは嫉妬心丸出しの妖精なので、もっとその感情を表に出して欲しかったです。
一方で嫉妬心丸出しのアニメ版ティンカー・ベルは好きではないので、気持ちよく観れた本作のティンカー・ベルのままでいてほしいという思いもあります。
ここが難しいところです。
気持ち良く観れたのは性格が温厚だからで、それがティンカー・ベルの正解ではないです。
ティンクにヘイトが向いても、嫉妬心の妖精がティンクであればそれを残すべきなのか。
キャラクターが作品と観客に与える影響が問われるところです。
同じような理由なのか、人魚がウェンディにちょっかいをかけるシーンも無くなっていました。

 

ロストボーイズ?

ロストボーイズ

ロストボーイズと言えばアニメ版にも登場したネバーランドに住む子供達です。
ピーター・パンをリーダーにしたチームに属しています。
まず、予告編が公開された時点でロストボーイズに女の子がいるということで批判を受けていました。
確かにアニメの1作目の時点ではロストボーイズに女の子はいません。
しかし2ではウェンディの娘のジェーンがロストボーイズ初の女の子として加入します。
アニメではこの場面でロストボーイズの1人が「ロストボーイズに女の子?」と言っていることから、それ以前に彼らが知る限りではロストボーイズに女の子はいなかったことが分かります。
本作はロストボーイズに女の子を加入させるという2で行われたことを合体させたようです。
この決断は2で語られる1つのメインテーマを無くすという難しいものです。
これは実写版の続編が出さないということなのでしょうか?それとも2ではオリジナルのストーリーを展開するのでしょうか?
少なくとも、ロストボーイズに女の子が加入する物語を1に統合したことは確かです。
ロストボーイズに女の子がいないというのは1の時点で、2では女の子は登場しているのでこれらを組み合わせたという決断は作品に与える影響が大きくなると考えられるので、大胆な決断をしたんだなと思いました。

1の時点でロストボーイズには女の子はいないという批判は分かりますが「ロスト”ボーイズ”だから女の子がいるのはおかしい」という批判は2を見ていないことも推測できますし、X-Menに女性のミュータントはいらないと言ってきそうです。
私は「Reimagining」作品においてロストボーイズのメンバーが変更されるのは、映画でアベンジャーズの初期メンバーが違ったことと同じくらいどうでもいいですが、アニメに忠実な作品を望んでいた人からすると期待していたものと違ったという失望も理解できます。

子供だった君たちへ

ウェンディ

本作はアニメーション版『ピーター・パン』を観て育った人を対象にしている感じがしました。
というのも、アニメ版を観ていたからわかるよね?というようなシーンがあったからです。
例えばアニメーション版では、ピーター・パンを探すフック船長がタイガー・リリーをドクロ島に誘拐して居場所を聞き出そうとします。
一方、実写版ではタイガー・リリーがドクロ島にウェンディたちを導く存在になっています。
これは『ピーター・パン』を観たことが無い人も楽しめますし、アニメ版を観ていた人は違った新鮮味があります。
『ピーター・パン』という物語は作中でウェンディたちも「お話」として登場していますし、ロストボーイズが「僕が物語に書かれてるの?」と言っていることから『ピーター・パン』という作品がウェンディたちの世界に存在していると考えられます。
これは私たちの世界にディズニーの『ピーター・パン』が存在することと同じです。
本作で出会ったピーター・パンはウェンディの思い描いていたピーター・パン像とは違いました。
無責任で死を何とも思わないピーター・パンに呆れていました。
ピーター・パンの無責任さは、自らネバーランドに連れてきたウェンディたちの安否を心配していなかったセリフから推測できます。
このウェンディが思い描いたイメージとは違ったピーター・パンというのは、アニメ版を観て育ってきた今の大人たちにも言えるのではないでしょうか?
「お話」でイメージしたウェンディと「アニメーション」でイメージした私たちです。
どちらも「フィクション」から思い描いてきたピーター・パンですが、本作は新しいピーター・パン像を描いており、意図してか否か、それはアニメ版で育った世代をウェンディと同じ立場に置くことになりました。

 

フック船長の過去

フック船長

本作でまさかピーター・パンとフック船長の関係が語られるとは思いませんでした。
フック船長は最初のロストボーイズで、母親を求めたことでピーター・パンにネバーランドを追い出されたようです。
本作に限らず、アニメ版でもピーター・パンは自分勝手な面があるので、意外と納得してしまう内容です。
自分と合わない意見を持つ人間の聞く耳を持たないピーター・パンの性格をうまく利用した展開です。
そうして追い出されたフック船長は結局海をさまようことになり、そこでスミーが乗る海賊船に拾われることになりました。
ウェンディとの会話で、思い描いていた大人になれなかったというフック船長に私は共感を覚えました。
これは「子供の時に思い描いた大人には必ずしもなれない」という意味だと思います。
この場面には共感する大人は多いのではないでしょうか?
しかし、それはフック船長のような「想像通りの大人になれなかった人」の意見であり、まだ可能性があるウェンディはそれを否定します。
ここは子供の視点からで、ある意味何も分からない立場からの残酷な否定にも感じますが、未来を決めたのは自分自身だということを考えると、この大人の姿は自分の選択の結果であると感がることもできます。
そんな悲しい過去を持つフック船長ですが、激昂するフック船長に対してスミーが「ジェームズ」と言ってしまったシーンはドキッとしました。
ジェームズはフック船長の本名です。
スミーが咄嗟に出したこの言葉は、海を漂流していたフック船長が海賊に拾われてからスミーと過ごした時間から生まれた信頼関係を表しているように感じました。
だからこそ、咄嗟に出た言葉が「ジェームズ」だったんですね。
このシーンはジュード・ロウの演技が素晴らしかったです。
本作はジュード・ロウの演技に助けられていた場面が多かったように感じました。

 

まとめ

本作は近年何かと話題を生むディズニーの実写化作品としてディズニープラスで配信されましたが、その内容はアニメ版とは違い、ピーター・パンとフック船長の関係に焦点を当てた作品になっていました。
楽しいファンタジー映画が観たい人からしたら期待外れな作品にも思えてしまいますが、どこかくすんだ色のネバーランドを舞台にした再解釈『ピーター・パン』としては面白かったです。
日本でも本作のような「Reimagining」の定義が浸透すると、より作品への意見の幅が広がるんじゃないかなと思いました。
最後までご覧くださりありがとうございました!